『騎士団長殺し』についての些細な疑問。

 先日、村上春樹さんの『騎士団長殺し』を読み終えた。その中のちょっと気になる点については、すでにツイッターに載せたけど、ここではその些末的なことをさらにくわしく書いてみたい。
 さて、この小説には何台かのクルマが登場している。主人公の傷心旅行で活躍するプジョー、彼が買い替えるカローラ・ワゴン、謎の人物メンシキの駆るジャガー、そのメンシキの娘かもしれない少女の叔母が乗るプリウス、友人の古いボルボ、そして今回少し考えてみたいのが、主人公が東北の旅の途中に目撃するフォレスターである。
 主人公はファミレスの席から外の駐車場に停まっているクルマを眺めた。本文を引用すると、

「駐車場には白いSUVが新たに加わっていた。ずんぐりとした背の高い車だ。頑丈そうなタイヤがついている。さっき入ってきた男が運転してきた車らしかった。頭から前向きに駐車している。荷室ドアにつけられた予備のタイヤ・ケースには『SUBARU FORESTER』というロゴが入っていた。」とある。
 自明のことだが、「予備のタイヤケース」とはタイヤケースの予備ではなく、予備のタイヤ、つまりスペイタイヤのケースが荷室ドアに装着されていた、ということだが、少しでも車に関心のある人ならふと疑問に思うはずである。はたしてリアドアにスペアタイヤを付けたフォレスターは存在するのだろうか、と。
 もちろん愛車にさまざまなものを装着する人は多い。特にRV車と呼ばれる車種には、ルーフにキャリヤーを載せたり、リアドアにラダーを付けたり、サイドにタープをくっつけて楽しんでいた。そんな流れでリアドアにスペアタイヤを装着するのが流行っていた時代もあって、そんな車を見掛ける機会も多かったのは確かである。ほとんど街乗りの車、例えばトヨタ・RAV4に外付けスペアタイヤが付く、なんてこともあった。リアドアのタイヤがRV的かっこよさのアイコンとして機能したのである。
 しかしこのスペアタイヤの存在は日常的にはウザったい。当然リアドアは重くなり、それを開けるのが面倒なのである。そういった認識がユーザーに一巡して、新しいRVのモデルからは、ヘビーな車種を除いてスペアタイヤを背負う車種が消えていくことになる。
 先ほどのRAV4しかり、ホンダのCR−Vやスズキのエスクードもその類だった。時代考証をしていないが、フォレスターもそのような時代以降に登場したモデルだったはずである。
 この小説の舞台は東日本大震災の数年前なので、登場するフォレスターは、第一、もしくは第二世代ということになる。しかしそれ以降のモデルも含めて、フォレスターのリアドアにはタイヤを背負うスペースがあるようには見えない。またすべてが上下に開くタイプのドアなので、万一タイヤを装着すると、そのヒンジに掛かる負荷はかなりのものになる。
 もちろん車検に通らないような車を見掛けることもあるのだから、リアドアにスペアタイヤを装着したフォレスターなどないと断言することはできない。だけど、こうはいえるだろう。こういった設定には無理がある、と。
 そしてさらに不思議なのは、どうして小説のキーになる車にフォレスターを選んだか、である。リアにタイヤカバーが付く車は他にもたくさんあるのだ。主人公が車種を認識するために、大きめのロゴが必要だったのかもしれないが、プジョーに乗っている彼は、車にそれなりに関心を持っているとも考えられるので、ノーマルのフォレスターでも、その車種を断定しても不自然さはないのである。
 また彼がもう一度それを見ることも、印象深いステッカーの存在で「個体認識」は可能だっただろう。しかし優秀な新潮社の校閲部がそんなミステイクをするはずがないのだ。
 以上のことから考えると、ほぼあり得ないフォレスターをあえて登場させるなんらかの必要性があったのかもしれない。当然続くだろう第三部では、この不思議なフォレスターの存在可能性自体が、なんらかのキーになっていくことを、今は期待したいのである。