「荒木町ラプソディー」に降る雨

 書くのが少し遅くなってしまったが、8月10日に、構成・演出 高橋征男の舞台「荒木町ラプソディー」を観てきた。原作は佐々木譲の警察小説『地層捜査』である。
 主人公は一人だけの部署特命課に異動してきた水戸部刑事。彼は相談役の元刑事、加納ともに、地区の名士の悪い噂を払拭するために、バブル時代に起きた殺人事件の再捜査を始める。最初二人はこの事件が土地取引がらみだと思っていたが、やがてその発端が数十年前に起こった出来事だったことが明らかになっていく。
 舞台は五年ほど前のほぼ現在と、殺人事件が起きたバブル末期、さらに数十年前へと展開している。しかしそれは大掛かりな装置の転換ではなく、例えば役者が上着を一枚羽織ることで時代がスルリと変わっていく。ただ現代にだけ雨が降り続いている。その場で黒子の役となっているのが男女のダンサーたちである。彼らが着ているベージュの衣装は、時の経過を示す地層のようで、踊りは地層に埋もれた情念に見える。事実、水戸部は彼らに抱えられて登場する。
 彼は懲罰的な人事のストレスを抱え、身重の妻も心理的に不安定だった。そのさまは水戸部の携帯電話での彼の声だけで表され、それがさらに切羽詰まった雰囲気を醸し出している。また現代がとてつもない速さで過去になっていることが、彼の使うガラケーで表されている。
 水戸部夫婦と対となるのが、割烹の若主人と妻のである。この妻もまた妊娠中である。やがて物語が進み、彼の父親の世代に秘された事件が、バブル期の殺人の要因となったことがわかる。その事実に水戸部たちは躊躇する。
 数十年前の一組の男女の悲惨な出来事が物語の起点となるのだが、彼らの若かった頃の姿は息子である割烹の若主人と妻が演じる。このようなキャスティングは一般的なのかもしれないが、私はタルコフスキーの自伝的な作品『鏡』を連想してしまった。この映画では監督自身の反映である「作者」の前妻と彼の母親を同じ女優が、そして彼の少年の頃と息子が同じ子役が演じているのだ。しかし年代の説明がないので、初見の観客は画面の女優や子役がいったい誰を演じているのかわからなくなる。この揺らぎこそ監督の意図の一つなのだろう。
 「荒木町ラプソディー」の物語の起点となる若い二人は、最後にいわば幻影として登場する。何も台詞がない彼らだが、おそらくこの舞台のすべてを表現し、そして雄弁であるのはこの二人だろう。ただ彼らの立ち姿に観客は一瞬だけ戸惑う。しかしすぐにその意味を理解する。事実が明かされた時、人々の中で、少なくとも水戸部と加納の中で彼らの「お披露目」は果たされたのである。
 しかし荒木町の雨はいつ止むのだろうか。