『第2会議室にて』16

oshikun2010-04-26

 2008年7月14日①
 午後4時過ぎ、福田和彦が出先から社に戻ってパソコンを開けると、中西信也からのメールが届いていた。内容は、今日の午後6時に第2会議室でミーテングを開くという簡単なものだった。会社に提出する質問状の件だろう。
 5分ほど遅れて福田が会議室に入ると、すでに執行部のメンバー5人は全員揃っていたので、彼は少し驚いた。何年か前に彼が執行部にいた頃は、部会を始めるにしても、定刻より30分は遅くなるのが常だったからだ。こういった変化は、たぶん個々のメンバーは自覚していないようだ。
 「いゃ、ごめん。電話が一本入っちゃって・・・」
 電話が入ったことは事実だが、それが遅れた理由ではなかった。彼がただボーッとしていたに過ぎない。
 「福田さん、はいこれ」
 河北たまきが福田に一枚の紙を渡した。案の定、それは会社への質問状の案文だった。
 先日の執行部会で、組合としても、モータータイムズ社とカーライフ出版の合併に関する疑問点を、会社側に提出する方針が決まっていた。その案文を委員長の中西が考えてくることになっていたのだ。福田はロの字型に並べられた長テーブルに座って、書類に目を通す。
 それを待っていたかのように中西が文面を説明する。
「福田さんはいなかったけれど、実は6月末に組合集会を開催して、そのときに今回の合併についていろんな疑問が出てきたんです。それらの中で社員に直接関係のあることと、それからみんなが関心を持っていたことだけを質問しようと思っています」
 それは次のようなものだった。
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                           2008年7月○日
         質問状(案)
 ㈱モータータイムズ社代表取締役 東山徹三 殿

                  モータータイムズ社労働組合
                  執行委員会委員長 中西信也
 
 当社は2009年の年頭よりカーライフ出版との合併を予定しています。その際に社内の人事、労働環境、仕事のシステムなど、多くの状況が大きく変わることが予想されます。しかし会社側のこういったことに関する従業員への情報開示は、極めて不十分であると考えます。先日開催された組合合集会においても、このことへの会社側への不信の声が多く挙がりました。そういったことからも、とりあえず以下の質問に対して早急な回答を求めるものです。7月21日までに返答をお願いいたします。

 質問1
 会社は本年度の始めに、半年後の6月には合併後を見据えた新しい人事を組むとしていましたが、そのような通告は未だありません。合併まで半年を切った現在において、どのような構想を持っているのか、お答えいただきたい。

 質問2
 現社長がその地位についてから、労働協約の更新の手続きが行なわれておりません。この労働協約は労使双方が尊重すべきものであることは、労働法の規定にあるところです。よって会社側は理由なくその更新を怠れば、法的な遵守事項を踏みにじる行為を続けていると解釈されます。その点についての認識をお答えください。

 質問3
 最近、一部の業界メディアにおいて、合併についての社長の所信が報じられています。その一部は従業員に知らされていないことが含まれていました。例えば、「一定の割合の雑誌を休刊にする」との発言です。こういった従業員に直接関係してくる事項が、メディアによって社内に伝わることそのものに問題があると考えます。この点についてお考えをお知らせください。

 質問4
 また質問3にある記事全体の内容について、それが事実であるのかどうかお答えください。
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 短くて、みんなはすぐに読み終わったはずだが、なかなか首を上げようとはしない。何かの暗号がそこに仕組まれているのかのように、その文字ズラに見入っている。第2会議室は静かだった。
 「もっとヤバイ項目もあるんだけれどな・・・」
 太田章が独り言のように発言した。
 「ヤバイことってどんなことだい」
 村上悟が反応した。
 「いや、ヤバ過ぎてここではいえません」
 「なぁんだ。オトコじゃないなぁ」
 今度は向井良行が太田をオチョくった。
 「だって、それを話して会社にバレたら、僕が漏らしたってことがわかっちゃうじゃないですか・・」
 「まあ、今回は会社が答えられる程度の質問ではいいと思うよ。軽いジャブってことだね」
 中西が助け舟を出す。
 「そうよ。最初から全面戦争に入ることもないわ。ね、オトコである必要もないんだから」
 河北の言葉は急所を突いている。
 「要は、こういった質問に会社がどんな反応を示すということだ。だから内容はぶっちゃけ、どうでもいいのかもしれない。ちょっとだけ刺激することができればね。まあリトマス試験紙みたいなもんだよ」
 福田が河北の言葉を継いだ。そしてまた昔のことを思い出す。
 「質問書」を提出するということ次第が、労働組合として久しぶりのことだ。そのことを知っているのは、執行部員の中でも50歳過ぎの福田と村上ぐらいだろうか。今から15年ぐらい前、組合は当時の田中社長に長文の質問状を提出したことがあった。その時の組合大会の白熱した雰囲気が、ほんの少しだけ福田の中に甦ってきた。