2014-03-01から1ヶ月間の記事一覧

沖縄叙景 その二十

お分かりかと思いますが、20回に分けて沖縄のことを書いているけれど、もちろん二十日間も旅していたわけではありません。いつものようにただダラダラと続いてしまっただけなのです。実際には三月九日から十三日までの五泊六日でした。 その出発日の少し前…

沖縄叙景 その十九

明日は沖縄の最終日ながら、ただレンターカーを返して空港に行くだけなので、本日が実質的な最後の日。午前中にニャン山、午後に玉泉洞に行って、そのあとに沖縄本島最南端の喜屋武岬(きゃんみさき)に行くことにした、のが間違いのもと。 最北端の辺戸岬に行…

沖縄叙景 その十八

午前中に糸満公設市場のニャン山やおっととのアウトレットを回ったた日の午後は、二十年以上前に両親と妹の家族とともに行った鍾乳洞の玉泉洞へ。 六度目の沖縄も基本一度も訪れたことのないところに行く、というのだ大前提だったのだけど、ここはツレも初め…

沖縄叙景 その十七

ニャン山でほくほくした気分になったまま、さてどこへいこうかと考えて、そういえば近くに海に面した土産物や海鮮食堂などが並ぶ施設があったはずと、うろ覚えでクルマを走らせる。 しかし何を間違ったか、着いたのはいわゆるアウトレットモール。この近くに…

沖縄叙景 その十六

そのもしゃもしゃ(失礼)頭の御仁こそ、あの糸満ハリコの作者である赤嶺康浩さんだった。 そしてツレとともだって、シャッターが開けきらないニャン山の店内に入っていたったのだ。と、その四方を囲む棚には、女子的にいうと「かわいーい」とかの表現となる数…

沖縄叙景 その十五

さて、沖縄での二軒目の宿は島の南部にある某ホテル。えええっ、こんなところにあるのー、とナビを疑ったほどの辺鄙な場所に建っている。これじゃよほどの健脚以外、徒歩で遊びに行くことはできゃしません。 で、ホテル内を散策、フツーのお土産店とコンビニ…

沖縄叙景 その十四

そういえば今回は沖縄っぽいものをほとんど食べなかった。 で、どんなものを食べていたかって、たとえばこんなモノ。

沖縄叙景 その十三

岩とか石とかだけ見てもしょうもないと、移動の途中にビオスの丘という、なにやら老人ホームか宗教団体の名前みたいな、でもモロ観光チックな場所へ。 人工池を行く船上で船頭さんの巧みな話術に聞き惚れる。 大きなブランコがあったので、数十年ぶりに乗る…

沖縄叙景 その十二

オキナワへ行きたい、行きたい、と、ほざいとったツレのため、とってもイヤなヒコーキ(ブラッドベリには負ける)に乗って来たのだが、到着してみて、でどこへ行きたいのか、と問うても、どこでもいい、とのこと。 おいおい、どこか行きたいところがあって、オ…

沖縄叙景 その十一

今回の沖縄は何日か前に書いたように城(ぐすく)巡りの旅でもあった。 南城城跡は、崩れた石垣だろうか、修復のために一つ一つの石にナンバーがふられて、まち積まれることを待っている。 そして南城城跡の向こうには使われることなく、建設途中で破棄され…

沖縄叙景 その十

定番の海もいちおうの落穂ひろい。 いまいち天候に恵まれず、 季節がらなのか威勢のいい雲が立つでもなく、でした。

沖縄叙景 その九

もう叙景でもなんでもないのだが……。 辺戸岬周辺を何枚か。[ その日の天候のせいなのか、それともそれがいつもなのかはわからないが、岬はミステリードラマの終盤(見たことないれど)のように荒波に揉まれていた。] それでも青い海に白い泡が混じりあい、な…

沖縄叙景 その八

落穂ひろい的に。 ホテルの小さなバルコニーから海岸が見える。 そこを行く人々のようすを、こちらの視線を感じさせずにうかがうことができる。 人々はまるで大昔の海との繋がりを思い出しているかのように、動き、歩き、走り、たたずみ、はしゃぐ。見ている…

沖縄叙景 その七

中城城跡(なかぐすくじょうあと)の空にオスプレイ。 十四世紀の城の上に二十世紀の城からの兵器が飛来する。 あれれ、市街地上空で、これっていいんだっけ。

沖縄叙景 その六

ところでこの中城城跡を訪れた人が眼にするのが、とても奇妙な建物。 中城城の建つ尾根に連なるカタチで、灰色のコンクリート構造のままに経年変化しているす巨大な構築物があるのだ。 調べてみるとそれは中城高原ホテルという建物の跡。しかし跡といっても…

沖縄叙景 その五

沖縄本島四日目からは南部の宿に泊まる。その道中に南城城跡(みなみぐすくじょうあと)を見学。これで世界遺産の五つの城のフルコース達成となる。 この南城城跡は昨日の勝連城が急こう配の丘にあるのと違って、なだらかな場所に細長く築城されている。こう…

沖縄叙景 その四

前日はあまりに遠くまで足を延ばし、しかも同じ道は通りたくないと、よせばいいのに本島の東側を回って帰ったので、ただただクルマに乗っている時間が長すぎた。その猿にもできる反省に立ち、三日目は近くに出掛けることに。 その一つが勝連城跡。沖縄本島に…

沖縄叙景 その三

沖縄二日目はレンタカーで本島の最北を目指す。20年以上前に仕事にかこつけて、オクマリゾートに行ったが、そのあたりから北は未踏の地。 ただ一度は一番北に行ってみたいと思った。 国道58号線を北上。進むにつれてドンドンと何もが無くなっていく。た…

沖縄叙景 その二

窓の下、浜辺の二人。

沖縄叙景 その一

チラリと沖縄本島に行ってきました。最初に泊まったのは、西側の海岸べりにズラリと並ぶ同じようなホテルの一つ。到着後、すぐ付近を散策すると、食べ物屋さんの駐車場に、こんなものがゴロリと転がっていました。

万博との44年ぶりの再会 その九

(続き) 一昨日に建物そのものを展示物にしてしまったスイス館やブリティシュ・コロンビア州館のことを書いたけれど、大切なことを忘れていた。その最たる例なのが、ご存知、太陽の塔を含むテーマ館なのである。もちろんその中には進化を表した生命の樹、地…

万博との44年ぶりの再会 その八 

一方の国内館はまず映像ありきで、工夫のしどころはそれをどう見せるかだったのだろう。 すでに書いたように、くだんの東芝IHI館は巨大なターンテーブルに乗り、九面のスクリーンに映すという仕掛けそのものがまさに「客寄せパンダ」的な工夫そのものであ…

万博との44年ぶりの再会 その七

(続き) つまり大阪万博の一つの特徴といえるのが、国内企業館の多くが映像を主体とする展示方式を取ったのに対して、外国館の多くはそれから脱却しようとしていたということだ。 月の石やアポロ宇宙船のあるアメリカやソユーズなども持ってこられたソビエ…

万博との44年ぶりの再会 その六

(続き)ところで、件のモントリオール博で目立っていたのは、映像展示が多かったことだ。日本での万博開催が決まったが、はたしてどんなことをやったらいいのかと、まったくの暗中模索だった参加者たち、とくに国内の企業館のスタッフはこぞってこのモント…

万博との44年ぶりの再会 その五

(続き) 例えば、そこにいてその東芝IHI館の映像を観た私は、きっとロバート・キャパの写真を見たはずなのだが記憶はまったく残ってはいない。そしてその写真の意味を知るのは、ずっと後のことで、そしてまた現在はそのキャパがキャパとなりえた写真の、…

万博との44年ぶりの再会 その四

(一昨日の続き) そしてまた東芝IHI館の映像について。そのタイトルは「希望−光と人間たち−」で、今の観点からすると、環境ビデオ、もしくはイメージビデオといった類に感じられる。そういってしまうと身もふたもないが、1970年当時は映像としてかな…

大雪のあとのカワセミ

強い風の中、公園を歩いていると、中年の女性がニコニコしながら真上を見上げていて、そのあたりにカメラを向けている。何かなぁ。しかし興味津々だけれど、いっしょに空を観るのも恥ずかしくて、そのまま通り過ぎる。 公園の西側、カキツバタが群生している…

万博との44年ぶりの再会 その三

(昨日の続き) というのも、今回の東大では、その9面の中の3面だけを小さなスクリーン(といったも学内では最大級なのだろう)で鑑賞しなくてはならないからだ。 はっきりいって44年前、あの摩訶不思議なパビリオンに誘われ、大きなターンテーブルに乗…

万博との44年ぶりの再会 その二

(昨日の続き)と、前の席に座ったご婦人二人、そのおひと方はどうやらあの「あまちゃん」に出演したベテラン女優さんではないか。ふむ、間違いない。と、いろいろありつつイベントは始まる。 滑舌のいい口上のあと、まずニュース映像で大阪万博のようすが紹…

万博との44年ぶりの再会 その一

二日に東大の本郷で大阪万博の展示映像のイベントがあったので、のこのこと出掛けてきました。記録映画アーカイブ・プロジェクトの第12回のワークショップで、題して「戦後史の切断面その? 万博とアヴァンギャルド」。 今までこのような催しが行われていた…