2014-01-01から1年間の記事一覧

ストーカーもなんと先取り

なんと半月も書いていなかったのか、とほほほ、と反省。 で、前回の「私は二十歳」なんだけど、こっちが勝手に驚いたのは、テオ・アンゲロプロスの先取りだけではなかったのです。 あの驚愕の冒頭シーンに続くのが、一見なんの工夫もなくのちに主人公だとわ…

アンゲロプロスを先取り

さて、前回書いたマルレン・フツィエフ監督の「私は20歳(はたち)」(Застава Ильича)だけれど、まずはそのオープニングに驚かされる。 朝の誰もいない街の大通りを革命当時の三人の兵士がカメラの方に向かって、足並みを揃えて近づいてくる。タイトルロー…

若き日のタルコフスキー

最近また、というか相変わらずというか、いいかげんもう飽きたよ、というか、タルコフスキーのことをいろいろと調べている。 で、今回は大学卒業制作作品である「ローラーとバイオリン」を再見。あやふやな記憶が一時だけしゃきりとしたけれど、またゆっくり…

とある小さなレストランの悲劇

いつものようにひさしぶりのアップ(?)は、ちょっとだけ真面目な話。 ふと思いついた円安の弊害について、とある例を今回は開陳してみます。 どんなお店でもいいんですが、ここはわかりやすく材料を輸入に頼っているレストランのお話です。 その小さなレスト…

冬の散歩道

ぐーたらとまたタルコフスキー

今日は快晴、午前中は富士山もしっかり見えてました。気温も高いそうですが、ウチ南向きではないので、そこそこ寒いです。 ということ(どういうことやら)で、半月も更新を怠っていたのは、別に体調がすぐれないとか、世の中がいやになったとかという「高尚」…

文フリに行ってきました。

流通センターで開催している文学フリーマーケット、通称文フリに行ってきた。出版物をいろいろと買うのだけれど、みんなの顔を見にいく、ってことも目的のひとつ。 現地には午後一時過ぎに到着。入り口あたりで双子のライオン堂さんと目で挨拶。まずは残部僅…

イエロー氏との邂逅

ここに書いたことと書いていないことの区別がつかなくなりつつある私ですが、さすがにこれだけ期間を空けてしまうと、さてはくたばったかと、ニヤリとする方もいらっしゃるかも、ということで、そこは問屋のなんとやらで、しばらく前の写真、たしかこれは別…

お茶濁しの夕刻の空

しばらく書き込みをしませんでしたが、しっかりちゃっかりどーにか生きています。まあ世の中いろんなことがあって、そんでもって、ここで書いていることなんぞが、どーも自分自身の感慨というか、気分てなものと乖離しているなぁ、と思いつつ、もともとの自…

その日の夕刻 その八

真ん中にかすかに写っているのは、ネッシーではなく、ただのカモです。

その日の夕刻 その七

その日の夕刻 その六

その日の夕刻 その五

その日の夕刻 その四

その日の夕刻 その三

その日の夕刻 その二

その日の夕刻 その一

うっすら富士山が左に見えて〼。

皆既月蝕拾遺 その十

映画、そして小説などにも、よく月が登場する。で、しっかり覚えているわけではないけれど、それはないよね、という表現にときどき出会うことがある。 例えば、深夜に上弦の月が天頂付近にあったり、やはり丑三つ時に三日月が浮かんでいる、っていう具合。 …

皆既月蝕拾遺 その九

月を眺める映画のシーンで、何が一番かというと、まさにいわずもがなではあるが、やはりタルコフスキーの「ノスタルジア」で描かれたあのシーンを置いて他にない。 それは主人公の夢幻のごとくに現れた故郷と家族、そして家、それはそのまま主人公、そして監…

皆既月蝕拾遺 その八

月がなぜいいかというと、当然のことながら肉眼で唯一、その何たるかを確認できる天体であるからなのだろう。 ところがどういうわけかどう見えるかは古今東西違っていて、日本ではお決まりのウサギが二羽だが、カニだったり、長い髪の女だったりもする。 見…

皆既月蝕拾遺 その七

昨日、自分が生きている間にはたぶん誰も月には行かないんじゃないのかなぁ、なんてことを書いた。でもその見込み、実は外れて欲しいと思っている。 ただアポロ計画ほどのオペレーションを実験させる主体が、残念ながらこの地球上にないような気もするのだ。…

皆既月蝕拾遺 その六

そして皆既絶食、じゃなかった皆既月蝕というイベントで、みんなの興味がふと月へと向かうこんな夜に思うことは、やはり四十年ほど前のこと。 アポロ計画は11、12、14、15、16、17号の都合六回のミッションで、12人の人間を月面に運びましたが、月の周回軌道…

皆既月蝕拾遺 その五

今回の皆既月蝕の皆既中は、三脚を立てる労をいとい(重里)、手持ちであんな火星みたいな写真を撮りつつ、こりゃダメだわ、と早々に諦めてテレビなんぞを見ていたが、しばらくしてまた窓から眺めると、月はもうすっかり上ってしまってそこからは眺められない…

皆既月蝕拾遺 その四

いつものように曖昧な記憶でそれがいったいどんな季節で、平日だったのか休みの日だったのかもわからない。ただはっきりしているのは、それが満月の夜だったということだけだ。 高校二年生だった。その日も皆既月食の夜で、天文部の一年先輩とふたりで校舎の…

皆既月蝕拾遺 その三

くわしいことは忘れてしまったけれど、月面を撮影する場合、その望遠鏡の焦点距離の100分の1の直径がフィルム面に写ることになるはず。つまり焦点距離が1メートルの望遠鏡だと、1センチの月がフィルムに焼き込まれるというわけだ。 しかしそれは直焦点、つま…

皆既月蝕拾遺 その二

高校時代、写真部の暗室を借りた。オレンジ色の光に満たされたそこでの紙焼き作業は、おごそかな儀式のようだった。 引き伸ばし機の光源近くのフォルダーに、月が写ったモノクロネガのフィルムを差し込み、ピント調整をする。フレームの映像を見るだけでは、…

皆既月蝕拾遺 その一

高校時代にはよく月の写真を撮っていた。それもちゃんと望遠鏡に一眼レフカメラを付けた、まあ天体写真としてはいちおう本格的なモノ。もちろん印画紙に焼くのも自分。フィルムの現像だけはちょっとおっかないので店に出したけど。あれ、本格的ではないかな…

宇宙博に行ってきた。その二十一

「最初の宇宙ステーションはスカイラブ」的なことをどこかに書いてしまったかもしれないけど、それが打ち上げる二年ほど前の1971年に、ソビエトがサリュートを軌道に乗せていた。これがいわゆる宇宙ステーション(もどき)としては世界初といえるだろう。 …

宇宙博に行ってきた。その二十

昨日書いたように、2014年の時点でアメリカは宇宙に人間を送り出すシステムを持っていない。月着陸という国家目標を達成して、さらにカタチの上での冷戦の消滅を受けて、そういったなんちゃって国家目標的なものがアメリカには必要なくなったのだろう。…

宇宙博に行ってきた。その十九

結局NASAは、マーキョリー、ジェミニ、そしてアポロ計画によって培われてきた技術やシステムのほとんどを、ドボンとドブに捨て(過剰な表現です)、スペースシャトルの夢幻へと歩み始めてしまった。 ローコストで宇宙開発をやらなくてはならないという冷…