2013-06-01から1ヶ月間の記事一覧

家の記憶 七

さて、それではまた伯母の家に戻る。 茶の間の黒い電話の向こうに、いつも伯母が水仕事をしていた台所があった。そこから長い廊下が伸びていて、物置代わりの部屋と従兄の部屋につながっていた。たしか従兄は私よりも七歳ぐらい年上で、つまりは小学生であっ…

家の記憶 六

そんな同窓会の懐かしきともがきの笑顔に似て、懐かしき風景も同じようなさまを見せる。 かつて住んでいた場所に何らかの機会を持って出かけても、その再訪の記憶はすぐにあやうくなっていき、やがてかつての濃い記憶の中に消えていく、そんな体験をしたこと…

家の記憶 五

たとえば同窓会での会話の決まり文句に、「まったく昔と変わっていないわね……みんな」などというのがある。リップサービステンコ盛りのその言葉にも、ほんの少しだけオマケのトッピングぐらいに、真実が含まれているように思う。 しかしそれは、卒業後数年の…

家の記憶 四

ここ数日、家の記憶について書いているが、どうしてなのかというと、もちろんか伯母さんが先日亡くなったことが理由なのは間違いないのだが、それと同時にここ何日かまたタルコフスキーの「鏡」を観直して、深く考えていることにもあるようなのである。 タル…

家の記憶 三

いつものように話が脇道に逸れる。昨日書いたように、伯母の家には私が物心がついた頃から電話があったのだが、自分が住んでいる家に電話が入るのは、かなり後になる。1960年代末(意味もなくあいまいにしている)まで葛飾柴又にアパート住まいだった頃…

家の記憶 二

伯母の家の広間は庭に面していたのに対して、茶の間は反対側の坂道に開く窓があった。ここには坂道を行く人々の影が映り、ここから話し声が聴こえたはずだ。 この部屋には昨日書いたように掘り炬燵があったはずだが、その記憶がいたってあいまいなのは、あま…

家の記憶 一

亡くなった伯母さんの家の記憶は、のちに二度ほど建て替えられたそれではなく、小学生の頃に何度も訪れた家のままである。 東京の大田区にあったその家の木戸を開けて中に入ると、スピッツだっただろうか、まず白い犬の洗礼を受ける。まだ犬を怖がる歳だった…

風と遊ぶもの

日曜日のお昼。 とある文章をまとめるために、とある雑誌を読んでいると、強い睡魔に襲われたので、ほんの少し横になるためにベッドへ向かう。 窓から梅雨時とは思えないほどの心地いい風が入ってくる。その風が身体のまわりで遊ぶ。瞼の裏の情景のほうに私…

絵の向こう側

くどくもベーコンの続き。 濃紺バックの何枚かの絵を通り過ぎると、やや広いところに出て、今度はアクロバティックな展開が始まる。画面は明るく、しかしかなりグロテスクでありながらも、予習してきたからなのか、どうもポップアートの匂いを感じてしまうの…

ネコはいいなぁ。

あいたたた。けっこう長い書き込みを消してしまった。 茫然自失。

ガラスの擁壁

さて、ベーコン展、その薄暗がりの中に浮かぶのは、たとえば阿鼻叫喚を瞬間冷凍したような空間である。最初のあたりに並べられた絵画の多くが背景が濃紺、ほとんだ黒とおぼしきそれに埋められていて、額は簡素な金色の枠に過ぎないが、その金色が覆う濃紺を…

絵画の前の光と客

で、ベーコン展を見てきたときの印象を、今更ながらにかき集めると、まず静謐な空気が思い浮かぶ。 静謐などというワープロがなければ使うことがない言葉を、このブログでは便利に何度も用いてきたけれど、これほどまでにベーコンの絵画そのもの、その題材、…

忘却という名の努力目標

忘れた頃に思い出す(矛盾)、ベーコン展の話だけど、当初、書きたいことテンコ盛りだったのに、寄り道したりウダウダしたいているうちにほとんど忘れてしまった今日この頃、さて、どうするべっか。 そういえば、高校時代の友人がかつての恋人のことを、「忘れ…

橋を登った記憶

そういえば、昔々のその昔の1960年代に、神奈川県の大船に住んでいたことがある(もちろん当時は子ども)。だから親戚の人が来ると、当然のことながら、近くの江の島か鎌倉に行くのが定番だった。 あの頃の鶴岡八幡宮の太鼓橋は普通に渡れたはずで、自分は…

そしてまた埋め空

やはり某日、鶴岡八幡宮の空。ぼんやりとオマケ付。

続々・埋め空

とある日の鶴岡八幡宮の月。上弦、プラス一日ぐらいか(目測)。

続・埋め空

いつぞやの川口摩天楼上空の月。

埋め空

夕焼けエリア、北方向に移動中(目測)。 風景の中央、やや左側あたりの建物がはるこん会場周辺、と思う。

絵から生じる冷たさ

近代美術館に来たのは、たぶんクレー展以来だろう。その前はいったいいつか、うーむ、思い出せない。昔々、なんと父親とポール・デルヴォー展に行ったことがあるが、そんなに前ではない気がする。しかし、ベーコンにクレーにデルヴォーというラインナップは…

十全なるショックアブソーバー

もうかなり前のことで、ほとんど忘れてしまっているのだけれど、ほんとうは国立近代美術館のベーコン展に行ってきたことを書こうとして、それが昔の上の周辺の話に飛んでしまって、収拾がつかなくなったわけだった。 あっそうそう、いま思い出した。美術館に…

第二十一条。

そういえば、かつてベストセラーとなった小学館の『日本国憲法』が話題のようである。テレビのニュースでも取り上げられていたし、何日か前の新聞にも掲載されていた。いまでもロングセラーだが、そのまま廉価版を発行するという。 ということで、書棚を探し…

寝付きのいい映画

ひさしぶりにタルコフスキーの「ノスタルジア」を観て、自分の記憶とずいぶんと違っていることに驚く。SFMに掲載させていただいた拙文との齟齬もあるようなのだけど、コワイのでそのあたりはしばらく後で確認することにしよう。 ソファに半分寝ころぶよう…

アキレスと亀のしっぽ

あーあ、時の流れに追いつかない、のだ。

庭から昇った大陸間弾道弾

テレビで観た「アストロノーツ・ファーマー 庭から昇ったロケット雲」という映画。短縮版だったので、とやかくいう筋合いではないのけれど、宇宙へ行ってからはアレレという展開だった。でも、宇宙中年としては完全版をチェックしておきたいので、購入したD…

村山定男さんのこと、その三

ということで、村山定男さんから手紙をいただいて感動している上司を見て、私もなにやら感動してしまった。でも彼はいったいどんな質問をしたのだろう。たぶん聞いたはずなのだけど、脳みそにこびりついている記憶をほじくっても出てこないのだ。 で、その昔…

村山定男さんのこと、その二

というわけで、最初にゴリゴリと社会をはこじ開けて、入った会社がなんとナントの勅令、(すみません)学参もの、つまり学習参考書を主に編集するプロダクションだった。 そのわけを書いていくと、またまた横道に逸れるどころか脱線してしまうので、封印してお…

村山定男さんのこと、その一

ということで、昨日触れた「日本の天文台」の科学博物館の記事を見て、あの小説のようなものを書いたのだろう。でもその観測会には残念ながら一度も参加したことはない。望遠鏡の性能のそうとうレベルアップしているので、今度、好奇心の燃えかすを抱えて、…

40年前と40年後と、それから。

えーと、というわけで、書いていた本人も忘れていたので、読んでくれるきとくな人も忘却の彼方であろうはずの、ベーコン展に行ってきた報告がいつのまにか上野公園周辺の話題となってしまった話の続き。 数日前に上野の科学博物館を舞台にした小説のようなモ…

都内散歩にてビールうまし。

ふう、午後からは、ひさかたぶりの都内長距離散歩にお出掛け。まずは膀胱炎、じゃなくて某公園に到着したが、いつもながらの大幅遅刻で、皆さんはほぼ出発したあと。 その横を早足で先へと進む。途中で経路をかなりキセルして、また某公園へと到着。友人に連…

ちょっと遅れめマイブーム

埋め草っぽく(と白状する)アップしてきたミニチュア風写真のおかげで、どうにか日付が現在に追いついたのだけど、それが突然のマイブームとなってしまい、土曜の憂国、じゃなくて夕刻、ご近所へ撮影に出掛ける。 昨日の写真は自分の住むマンションからの風景…