2013-11-01から1ヶ月間の記事一覧

不必要の必要 その三

ところで毀損、じゃなかった既存のケータイのことをガラパゴスケータイ、略してガラケーというようになったのは、いったいいつからなのか。まあ、そんなことはどーでもいいのだが、このようにモノに微妙なネーミングをすること自体、なんとも不可思議な現象…

不必要の必要 その二

そんなわけで、このところ腕時計のない生活を過ごしているのだが、その代わりとなっているのが携帯電話、いわゆるケータイだが、これをポケットから出すのが面倒なので、時計を気にする回数が少なくなっている、などということは昨日書いた。 しかし問題はこ…

不必要の必要 その一

だいぶ前から腕時計が停まっている。 なので、当然のことながら出掛ける時に左腕にはめるものがない。少しさみしい気もするが、それもだんだんと気にならなくなる。 ただ時間を知るためには、ポケットに入ったケータイを出さなくてはならない。それがやや不…

白地の抵抗

さて、これからのマスコミにいつぞやの東亜日報の勇気はあるのか。 年寄りであることは、幸いであることをいっそう感じつつ。

この日の秘密

もしのちの世が存在するとして、今日の一日はのちの世に残る奇妙な一日となるはずである。しかし、その詳細さえもが、また秘密となる可能性が大ではあるのだが。

本を語る幸福な時間

昨日は岡崎武志さんの「蔵書の苦しみ」の楽しみ、と題するトークライブが両国の緑壱というフリースペースで行われるというので、メールで予約を入れて行っていました。会場では岡崎さんの「挿絵展&一人古本市」も開催中で、こちらの会期は30日までとか。 展…

「新しい核の時代とタルコフスキーの視線」を書きました。

季刊「メタポゾン」10号に拙文「新しい核の時代とタルコフスキーの視線」を掲載させていただきました。 これは映画監督のアンドレイ・タルコフスキーについて書いたものです。タルコフスキーというと、一般には芸術至上主義の作家とする方が多いと思われます…

埋め草の語るウソ

先ほど、このブログの管理のところを見てみたら、継続しての書き込みが50日ほどになっていた。あれれ、どうにか埋め草をしてきたつもりなのになぜだろうと、そのあたりを調べてみると、9月30日が抜けていた。 で、ちょっと考えた末に、またいつものどーでも…

埋め紅葉 その八

昔々のその昔、両親と妹の家族といっしょに軽井沢の某スキー場へ出掛けたとさ。 いっしょに行ったまだ幼稚園にも通っていない姪っ子にとっては初めてのスキー場、たくさん雪が積もっているところを見たのも、たぶん初めて。 彼女をそのスキー場にある子供用…

埋め紅葉 その七

そういえば軽井沢の別荘地で、そこそこ有名な女性評論家にして大学の先生を取材したことがあった。 まだ高速道路が近くまで来ていなかった時代で、先日書いたように、ホンダ車をヒーヒーいわせながら、カメラマンと二人碓氷峠をアップダウンして到着。で、イ…

埋め紅葉 その六

そういえばあのアウトレットが記事の中にチラリと出てくる時、広報の人から軽井沢プリンスではなく、ナカグロ(といいます。つまり中黒、しかしこれって言葉でいっても字にすることってほとんどないね)が入る軽井沢・プリンスなのだと、念を押されたことがあ…

埋め紅葉 その五

軽井沢といえば、昔は碓氷峠をえいゃこりゃさ、と登ったり下りたりして、どうにかたどり着いた場所なんだけど、今じゃ高速道路を降りれば、あれま、というほど簡単に到着してしまうので、逆にありがたみがないみたい。 登坂車線を疾走するトラックに負けそう…

埋め紅葉 その四

軽井沢といえば、うーん、そうだね。仕事で二回、スキーで五回ぐらい、学生時代の連中と一回、という感じだけど、ほとんどらしき場所には行ったことなし。今年は「風たちぬ」で来訪者も多いんだろうね。

埋め紅葉 その三

しかし軽井沢を散策したのなんて初めて。通り抜けたり、ピンポイントで用事を済ませたことはあったけれどね。

埋め紅葉 その二

はい、今度は昨日(なんてね、BY薬師丸ひろ子)の風景が池に映ったところです。

埋め紅葉 その一

ずいぶんと現在との齟齬が生じてしまったので、埋め草ならぬ埋め紅葉(もみじ)です。駄文のない分、お楽しみいただけるのでは……。

五反田今昔ストーリー その三十

話は五反田からまったく別の場所に飛んでいってしまったので、河岸を替えよう。ということで、まあ同好会では、その環境はどこぞのホテルのホールだったり、どこぞの中華屋さんだったりするから、その自分たちの時代の背景とまったく違うことになるわけだが…

五反田今昔ストーリー その二十九

同窓会で一番交わされる言葉は、「みんな全然変わらないねぇ」である。三十年たっても、四十年たってもこれなんだが、変わらないはずがないじゃありませんか。 これはまさにその場の放つ、大いなる幻影のなせる技なのだ(そんなタイギョーなことではないけど…

五反田今昔ストーリー その二十八

さて、先月は30日の続きではある。五反田の酔いどれの日々はまた続くのだ。 前回、学校を卒業してしばらくしてから、またかつてのメンツで飲んだ話をチラリと書いたが、まさにそんな時はまったく変わりない居酒屋の光景が、疑似タイムマシンとしての効果よ…

ハロウィンの夜 補遺

ツレがハロウィンの子どもたちの写真を撮りたがっていたのだが、個人情報の件もあるし、止したほうがいいよ、といった、そんなことをマンションの管理組合の理事会で話したら、そのせいなのかどうかはわからないけど、先日、郵便受けにこんな子供たちの集合…

文フリの午後 その五

と、文フリ会場をグールグル(検索サイトではなく、ヨシイクゾウ的表現です)したが、とにかく若者たちの熱気と物理的温度で、この季節で汗をまみれになり、そろそろいいかなぁ、と会場を出ようとすると、粋なカンジにキャップをかぶった青年とすれ違う。 お…

文フリの午後 その四

ということで、文フリ二階の幻視社のブースに寄って、「ゲンシシャ vol.7」を購入。そして本日のメインイベント、岡和田さんの著書、『「世界内戦」とわずかな希望』をフライングゲットしたのだった。 岡和田さんは寄贈しますよ、といって下さるのだが、そこ…

文フリの午後 その三

さて、昨年もいろいろと迷ってしまったことなどしっかり忘れて、また今年も文フリの魔宮にはまってしまうのではあった。 それぞれのブースの場所はパンフで確認できるのだが、実際にはその番号とかが表示されてはおらず、シャイなおじさんは尋ねることできぬ…

文フリの午後 その二

と午後2時ぐらいに文学フリーマーケット会場の駅に到着すると、アレレレ、コスプレ風の女子が二人歩いているではないかいな。今日日の女子の服装のトレンドなど、ほぼ収集していないがゆえに、これら御仁たちがおめしなのものが、はたして通常の衣服なのか…

文フリの午後 その一

さて、ファンタジー的な時は一瞬にして、過ぎ去り、昨年同様に、文学フリーマーケット、通称文フリを覗きに、東京モノレールは流通センター駅に行ってきたのは、4日であった。 昨年も書いたかもしれないけど、こういった催しものが存在すること自体、恥ずか…

ハロウィンの夜 その六

その信仰的な意味などまったくもってわからないのだが、このガキ、いやお子様たちがご近所を訪ねて回り、お菓子をねだるなんぞのイベントは、まさにマンションという造りにうってつけではある。 さらにガキ、じゃなくてお子様たちが基本能動的に動くのもいい…

ハロウィンの夜 その五

そしてハロウィンの夜の午後七時を、ほんの少しだけ回ったあたりで、オーラスを告げる実行委員のママさんとその子どもたちが来訪したので、少し残った弾薬を浴びせる、じゃなくて、お菓子を渡す。 やれやれ、しっかりと数えていなかったけど、用意した38袋…

ハロウィンの夜 その四

などとバタバタしつつも、38人プラスアルファ分のお菓子の袋を準備して、いたずら軍団の攻略に備えた。 と、定刻を5分も過ぎたあたりから、ピンポン攻撃の雨あられである。 「トリック・オア・トリート!!!!」 二十一世紀生まれのフレッシュな妖怪とか…

ハロウィンの夜 その三

と、買い物から戻って、ハロウィンのお菓子配りが始まる午後6時まで、あと3時間ほど。まあ、余裕で準備できるしょ、と袋詰めとリボン結びは言いだしっぺのツレに任せる。 で、しばしの後にその進捗具合をば見にいくと、なんとアレはチョウチョ結びではなく…

ハロウィンの夜 その二

さらにマンションの管理室前のカウンターには申込書が置かれ、ハロウィンで子どもを差し向けるたい人と、お菓子を配りたい人の欄がある。さっそく配る方に名前を書く。 掲示物には、事前に回ってくる子どもの数を知らせるので、その分だけ、経済的な負担にな…