最初の一歩

 子供の頃は、どうして大人は散歩などするのだろうと思っていた。
 もう40年以上の昔の話だが、家の中にいることに飽きた父親が、「ちょっと散歩にいってくる」という。私が「どこへいくの」と声をかけると、彼の答えは「散歩なんだから、どこにもいかないよ」だった。
 その頃の私にとって歩くというのは、どこかに近づくこと、そしてそこで何かをすることを意味していた。だから、何の目的もなく外に行って、そのまま帰って来る父親のその行為に、いったいどんな面白さがあるのかと、思ったものだった。

 しかし、今は違う。
 目的もなくただ歩くことにこそ、ある意味、歩くことの真髄があると思うようになった。自分で歩むことで風景が変わり、体が風に触れ、耳をすまし、地面を感じる。すると自分の中から、いままで自分になかった何かがひょっこりと現れたりする。

 そんな思いをつらつらここに書いていこうと思う。
 ここでいう散歩とは、ただ二本の足を交互に動かして前へと進むことだけとは限らない。手元の本を繰ったり、録画していた映画を観たり、ふと人と会ったりすることも、私にとっては「散歩」のようなもの。やはりひょっこりと浮き上がってくるものがある。そんなものも書き連ねていきたい。

 しかしまあ、はたしてどんなことになるやら。まったくのパソコンオンチの私ゆえ、操作方法もまだまだ手探りの状態なのだ。もし、これを読んだ人がいて、まだしばらくこの書き込みが続いているのを見かけたとしたら、どうか秘かに微笑んでいただきたいと思う。