『第2会議室にて』10

oshikun2010-04-06

 2008年7月10日⑥
 福田和彦が西武池袋線のホームに上がると、各駅停車がちょうど入線してくるところだった。まず右側のドアが開き、降りる客がホームへ出る。少し間があって左側のドアが開く。福田は難なく席を確保した。向かい側の窓に自分の顔が写っている。あまり好きな顔ではない。そこから目を逸らして、先ほどまでの思いの続きを頭に浮かべた。
 新しく社長直下に組み込まれた三人の取締役は、就任早々に社長の思惑とは別の行動を取り始めた。
 編集担当の松本は、外部プロダクションと親密な関係となり、発行部数に結び付かない斬新な雑誌を数冊創刊しては半年ほどで立て続けに廃刊させた。広告担当の近藤は、実弟に作らせたトンネル会社を通じて、広告料金のピンハネを行なった。そして事務担当の村田は、かつて銀行支店長時代の取引先だった化学工場のアイデア商売に乗って、数億の損害を会社に被らせた。
 田中社長はしばらく静観していた。しかし彼はそれが会社の根幹を揺るがしかねないことを理解すると、子会社に彼らを放逐することを決意した。それまた自らの失敗を認めることでもあった。
 「もしかすると、もう自分は社長の器ではなくなった、そう感じたのかもしれない」
 江古田の駅で福田の前の席に、大学生らしい女が座った。彼女の姿がちょうど窓にある福田と重なったようだ。もう自分の顔は見えない。それを確かめていた福田の顔に、彼女がチラリと視線を送った。福田はまた下を向いた。まだ自分の顔のほうがよかったか。
 田中社長の気持ちの隙間を突いてアプローチしてきたのが、カーライフ出版社長の東山徹だった。東山はモータータイムズ社の編集部にかなり昔、数年間だけ在席していたことがあった。社内のほとんどの人は彼を知らなかったが、社長と数人のベテランだけは彼を古い友人であると思っていた。東山が作ったカーライフ出版は、自動車のアフターパーツなどに関係する雑誌を発行していて、モータータイムズ社の雑誌と重なる部分もある。
 最初、東山は編集担当の松本取締役に、雑誌の制作会社を共同で立ち上げることを提案した。競合する雑誌があるということは、ライバルであるとともに、仕事をしていくパートナーとなり得るというわけだ。
 松本は東山の提案に乗り、共同出費の編集プロダクションを作った。後日、松本はモータータイムズ社の取締役を解かれたあと、この会社の取締役に転籍することになる。一方、東山はこれをきっかけにモータータイムズ社に日常的に出入りすることになり、やがて2005年末には企画担当の取締役に就任するのだった。
 そして社長と頻繁に会っては旧交を温め、東山以外の取締役が自壊していくのと眺めながら、二人はうわべ上で意気投合していく。かつてのモータータイムズ社の思い出やモータースポーツの話題、雑誌業界の現状、自動車メーカーの裏話など、田中社長が欲しがっていたものを東山は与え続けた。そして東山は自分が欲しかったものを、田中から手に入れることになる。
 古参の社員が田中社長のことを言っていた言葉、それを福田は思い出した。
「彼は騙されることはあったが、誰も騙すことはなかった」
 確かにその通りだったかもしれない。しかしそれは社長の職にある者として、最大の欠陥ではなかっただろうか。福田は駅を降りて、道を急いだ。夜道は歩くに従って商店が少なくなり、どんどんと暗くなっていく。
 2007年の桜の季節、モータータイムズ社長が交代した。社長には東山徹が就任し、田中は新しく作られる持株会社の会長になった。カーライフ出版の社長にはその専務が就任した。東山は昔のモータータイムズ社の同僚だった石原と小塚を取締役に任命し、その後1年も経たない2008年の1月に、モータータイムズ社とカーライフ出版の2009年1月の合併を発表したのだ。
 福田は自分の住む賃貸マンションに着いた。4階建てなのでエレベーターはない。ドアの開けると目の前に広がる部屋の明かりが心地いい。何だろうか、福田の胃袋を刺激する匂いが玄関まで伝わってきた。