『第2会議室にて』14

oshikun2010-04-19

 2008年7月10日⑩
 太田章と村上悟は、ちょっと早足になって駅の近くのビルにある居酒屋に向かった。エレベーターで6階まで上がると、扉が開いたとたん、客たちのざわめきが彼らを迎えた。村上はこの感覚は嫌いではなかった。太田は店員に対して指を二本立てた。客が二人であることのしるしだろう。しかし彼がそれをやるとピースサインにしか見えない。
 幸いなことに窓側の席が空いていた。すでにかなり酔っている客たちの間をすり抜けてそこへ歩く。見える顔はみんな幸せそうだ。窓からは外堀が見えた。駅のホームがそこに浮かんでいるかのようだ。電車がホームに入ってきた。その灯りが堀に揺れて映る。
 村上は生ビールを、太田はレモンサワーを頼んだ。ツマミはこれから考えるというと、女の店員はすぐに引っ込んだ。
 「キレイだな」
 村上が窓の外を見ていった。
 「えっ、店員がですか。僕の方からは見えなかったんですよ」
 「違う。ほら、真っ黒なお堀に灯りが揺らいでいる・・」
 「村上さんは詩人ですねぇ」
 「まあ、これからはこんな風景も見られなくなるかもな」
 「お堀が埋め立てられるんですか」
 「違うよ。ここに勤めるのも、そんなに長くないかもしれない、ということだ」
  またあの話が続くことになる。
 「そんな状況だと思うんですか」
 太田は運ばれてきたレモンサワーに口を付ける。ツマミを注文するのを忘れたが、店員は気づかないで戻ってしまった。
 「いい状況でないことだけは確かだね。それが実際の状況なのか、それともわざと作られた状況なのかはわからないけれども・・」
 「わざと、ってどうことですか」
 「会社の幹部たちが、自分のやりたいようにやるための準備をしているってことさ」
 太田は村上の言葉の意味がわからないようだ。
 「つまり大きく変えるためには、理由が必要だということだ」
 「大きく変えることっていうのは・・・」
 「大幅な人事異動、年俸の減額、そして首切り・・・」
 「えええっ、首切りですか」
 確かに2社の規模が若干違うし、発行している媒体の傾向も微妙に異なっている。しかし、と村上は考えた。それは内部から見ればということだ。もし外の人がこの合併を見て、ふたつの会社を重ね合わせれば、そうとうな部分がはみ出てくる思う。特に共通する事務部分は、倍の人数を必要ではない。多くて3分の2。広告や編集でも同じようなものだろう。問題ははみ出した部分をどうするかだ。会社の幹部には、長年に渡る出版不況と昨年からの金融危機、これらがその「どうするか」の理由付けとなってくれるはずだ。
 「社長が田中さんから東山に代わったときに、社員一人ひとりと面談したことがあっただろう。太田ちゃんも受けたかい」
 「僕はその、どういうわけか、無かったんです・・・・」
 太田はその不安そうな顔を、お品書きで隠した。
 「まあ、全員っていうわけでもなかったみたいだね。年寄りから先だったし、きっと途中で飽きちゃったんだろうな」
 村上はその面談の意味を考えてみた。前社長の田中は当然のことだが社歴が長く、例外なく社員の採用時には面接をしている。日常的に話をするというタイプではなかったが、それでもすべての社員のキャラクターを掴んでいた。しかし新しい社長となって東山は、ほとんどの社員の顔と名前すら知らなかった。わかっているのは、四半世紀も前に数年だけモータータイムズ社に勤めていたときの同僚だけだが、その数は十人に満たない。だから新社長となった東山は個々の面談を始めたのだろう。それは一人ひとりの意見を聞くというよりも、どんな人間がいるのかという調査であり、また自分自身のプロモーションでもあった。
 「その面談で彼は変なことをいったんだよ」
 「いったいどんなことですか」
 太田はツマミが決まったようで、手を挙げて店員を呼んだ。
 「リストラはしない・・・」
 「それはいいことじゃないですか」
 「リストラの意味、知っているかい」
 「・・首切りってことじゃないんですか・・・」
 「リストラはリストラクチャリング、つまり再構築の略称だよ。自分たちが持っているモノを正しく配置し直して、もっといいカタチにしていこうということ。それをマスコミが使い始めてから、よくあるように単純な意味に流れて、人員削減として使われるようになったわけさ」
 「なるほどね」
 焼き鳥が運ばれてきた。太田は七味をかけてそれをほお張る。
 「まあ、太田ちゃんがその正しい意味を知らなくても、それは個人的な問題に過ぎないけど、会社の経営者としては大問題だ。たぶん、首切りはしないっていって、社員は安心させようとしたんだろうけど、少なくとも正しい意味でのリストラは必要不可欠で、それをしないなんて宣言したら、経営を自ら放棄するといっているのと同じだ」
 「つまり・・」
 「つまり、大きな声ではいえないし、社員としてはとても悲しいことだが・・・、彼はバカだ。しかも話には続きがある」
 村上は自分のジッキを飲み干した。太田もレモンサワーの残りを飲んだ。氷がカチッと音をたてた。