『第2会議室にて』25

oshikun2010-05-27

 2008年7月17日⑥

 午後7時を過ぎた。福田和彦は次に発行される雑誌の担当ページが、どうにかまとまったので、デザイナーに届けることにした。会社を出ると、エントランスのすぐ横で村上悟が煙草を吸っている。社内は禁煙なので、愛煙家は煙草を吸うためにここに集まることになる。彼はとてもうまそうに煙草を吸っていた。いつもは5、6人の愛好者がここにたむろしているのだが、今は村上の他には誰もいない。彼が福田に話しかけてきた。
 「えっ、もう帰りかい」
 「いや、デザイナーのところに原稿を届けにね」
 「なにやら古式ゆかしいね。もう写真もテキストもメールで送っているんだから、その必要はホントはないんだろう」
 「ご明察の通りでございます。これはまあ、息抜きだね」
 「そう認識していればそれでよし。ところで聞いたよ。質問状、渡したんだってね。で何、取締役ががん首揃えて対策会議だって・・」
 彼は煙草の煙が福田の方にいかないように注意していた。
 「まあそれほどのモノじゃないだろうけれども、どうやら石原さんが回答書を作るらしい・・」
 「しかし、ばかばかしい話だよね」
 「というと、・・・・」
 福田は時計を見た。まだ時間はたっぷりとある。
 「いや、そんなことを質問しなきゃならないなんてさ・・」
 「確かにそうだ。今までのモータータイムズ社だったら、あり得ない質問事項だね」
 「俺はさ、ちゃんと仕事ができればいいんだよ。それだけだね。でもなんか違ってきている。ここで煙草吸うじゃない。でさ、カーライフ出版の連中もくるわけよ。すると彼らの話が小耳に挟まるわけ。でね、まったく考え方がぜんぜん違うんだよ・・」
 「例えば・・・・どんな感じて・・」
 「そうだね。なんか問題があるとするじゃない。すると彼らはどう上役に相談するかって、話しているわけ」
 「まあ、当たり前のようだけど・・・」
 「それが違うんだよ。話の内容が、どうしたらそれが自分のミスにならなかっていうコトばかりなんだ。一人ひとりの責任範囲がすごく狭くて、いつもビクビクしているみたいだし。ここってさ、雑誌作っている会社なのに、そのしゃべりって、ほとんど普通の会社とおんなじでね。少なくともモータータイムズ社では聞いたことがない。まあたまたまってことも考えられるけど・・・」
 「そうだね。確かに全然違う会社という気はするな。よく言えば、彼らの顔付きには下品さがない。みんなサークルかゼミの下級生って感じだ」
 「だろ、ギラギラとかギトギトしていないんだよなぁ」
 福田は同じフロアの半分を占領しているカーライフ出版の編集部員の顔を思い出そうとしたが、ほとんど浮かんではこなかった。
 「彼らが作る雑誌を広げてみると、なんか取り扱い説明書を見ているような気がする」
 村上は何本目かの煙草に火を点けた。
 「うん、ウチの広告進行の部署でも、クライアントとか印刷会社との関係が妙にクールで、融通が利かない。それでいてどうにもこうにも非効率的なんだ」
 福田は村上の仕事の広告進行が、どのようなものなのか知らなかったが、広告営業と広告クライアント、そして印刷会社の間に入って、かなりストレスの溜まる職場であることぐらいは理解している。毎日が綱渡り的な日々であるにも関わらず、その手法を半年後には統一していかなくてはならない。そのことを考えるだけで、胃が痛くなりそうだった。
 「雑誌を中華料理に例えると、ウチらは横丁のラーメン屋で、アチラは小洒落たチャイニーズ・レストランってとこかな。まあラーメン屋には週に一回入るけれど、レストランには年に何回しか行かないだろ」
 福田のこの中華料理のたとえを、村上は気に入ったようだ。
 「それはいえてるね。でね、ホントはこんなこといっちゃいけないんだろうけれども、一応、ウチは自動車やレース雑誌の老舗だよ。老朽化したとはいえ、まあブランドだったわけだ。給料もそこそこいい。で、アッチはこの世界に憧れていたけど、ウチに入れなかった人たちの集まりということになる。早い話、アッチの給料だったら、今のウチの人材は集まらないと思うんだ・・・・」
 村上の声が少しだけ小さくなっていた。
 「なかなか大胆な意見だけど、事実関係だけは正解だろうね。ただし賃金についてはそんな噂があるだけで、ほんとうに低いのかどうかはわからないんだ」
 そう福田は思った。カーライフ出版の賃金水準が低いといわれているのは、モータータイムズ社側の水準を落とすための方策である可能性もある。
 「まあ、その話でいうと、オレはうまいラーメンを自分のやり方で作り続けて、ある程度儲かればそれでいい。他の誰かから、麺の茹で方とか具の載せ方なんかで、とやかくいわれたくないだけなんだけどね・・・」
 「オレたちにはラーメン屋が似合っているしな。それじゃ行ってくるから・・・、息抜きに・・・」
 福田が一歩踏み出すと、そこには真新しい社名の入ったプレートがあった。今まで見たことのなかったそれには、上にモータータイムズ社、下にカーライフ出版と、和名と英文の表記がさせている。もう半年ほどでモータータイムズ社に統一するのに、またずいぶんと無駄な出費をしたものだと福田は思った。7月といえども、あたりはもうすっかり暗かった。