『第2会議室にて』29

oshikun2010-06-07


 2008年7月28日②
 組合副委員長の福田和彦の電話が鳴った。受話器を取ると、相手は委員長の中西信也だった。時間は午後5時を過ぎていた。
中西が言った。
 「回答書が出た。すぐに執行部会を招集したい」
 福田は自分のいる2階フロアを見回した。向井良行と村上悟の姿は見える。河北たまきの部署は福田の席からは見えないが、さっき近くを通ったときは、全員出払っていたはずだ。
 「とりあえず、会議室を確保しよう。第2会議室が空いているはずだ。村上さんと向井さんには声をかけておく。たまちゃんだけは出掛けているみたいだけど・・・」
 「了解。こっちは太田くんに声を掛けておくよ。福田さんはすぐに来られるかい」
 「ああ、大丈夫だ。すぐに行く」
 福田が第2会議室のドアを開けると、中西はすでに来ていて、一枚の紙を読んでいた。そして入ってくる福田に同じモノを渡した。すでに回答書を何枚がコピーしているらしい。
 福田はまずそれを一読した。
 「・・・なるほど、意外に明瞭なカタチで姿を現したようだ。しかし、これほど大胆に組合批判をしてくるとは思わなかった。この回答書で気にしなくていいのは、とりあえず質問3と4についてだけだな。あとの質問1と質問2については、かなり問題だと思う。特に質問2だね」
 もう中西は数回この文書を読んだようだ。いつもよりも随分と顔が険しくなっている。
 「質問1は、問われていないことにも答えている。人事の決定が進まない理由に、あろうことか賃金格差を挙げている」
 福田は回答書のこの部分を、モータータイムズ社とカーライフ出版の賃金を均等化する準備、具体的にはモータータイムズ社の賃金水準を下げるという意味だと思った。その点で会社の通告書といってもいいのかもしれない。しかし具体的なことは何もない。
 「質問2については、組合との労働協約が失効している、とまで言い切っている。これは協約の最後の部分の彼らの自己解釈だ」
 福田はまだ開けたままの会議室のドアの向こうを見た。そこにはカーライフ出版の広告営業スタッフたちが働いている。カーライフ出版には組合がないから、合併の時点で組合の組織率は半分に落ちる。これでは従業員を代表しているとはいえない、というのが、組合への経営側の紋切り型的な圧力だ。
 「確かに協約の規定をしっかりと履行してこなかったのは、歴代の執行部の大きな失策だと思う」
 中西は書類の束から労働協約のコピーを取り出して広げた。

・・・第12章 効力・・・・・

 第71条
 この協約の有効期限は平成12年6月1日より5年とする。ただしその期間中であっても会社と組合双方の合意により、この協約の一部または全部を改訂することができる。満了期間までに改訂の意志表示が無い場合は、さらに1年有効とする。

 第72条
 この契約の有効期間中に前項の協議が成立しなかった場合は、一定の期間を協定して延長することができる。

・・・・・・・・・・・・・・

 「このふたつの条文だ。そうするとこの問題の山場は平成17年と18年ということになる。しかしそれに延長するとこができる・・・、ともある」
 中西は少し考え込む。
 「ということは、延長しなくてもいいという解釈もあるのだろうか。その頃の委員長って誰だったっけ」
 福田は指を折って、何かを数えている。きっと委員長の名前を挙げているのだろう。しかし彼はここ数年ほとんど組合活動に関心がなかったから、その頃の委員長の名前を思い出すどころか、執行部員の顔さえ出てこない。
 「確か石川さんが何期か連続して委員長を勤めていたはずだ。福田さんが執行部に来るきっかけとなった石川さんだよ。彼は何度も協約の更新の話を会社にしていたけれど、会社はノラリクラリとそれを拒んでいた・・・、つまり虎視眈々と組合つぶしの理由を構築していったんだ」
 中西は記憶力がいい。
 「そうか石川さんか、よく憶えているね」
 「いや、ただあの頃、何回か集会に出ていただけだよ。彼も悩んでいたけど、人がいいから、会社側から騙され続けたってことかな。集会を開いても人は集まらなかったし」
 そういうと中西は福田の顔を覗き込むような顔をした。
 「いや、面目ない。そういえばまったく組合活動に参加しなかった時期が、数年間あったものなぁ。しかし3年ほどの空白期間、それは東山体制とピタリと重なる。会社のスタンツは、現在の労働協約を認めず、今後も合併によって社員を代表しないのだから、締結はしないといっているわけだ」
 「それ以外には読めないね」
 「しかしヘタクソな文章だ。とても出版社の幹部が作成した文書とは思えない」
 「これでも作者はところどころ直したようだよ」
 「社員ばかりでなく、作者にも迷惑を掛けているっていうわけだ」
 その時、ドアが開いて太田章が少し眠い眼をして入ってきた。
 「会社側から『解答』が返ってきたんですって、もうマル付け終わりましたか」
 彼の発言はまじめなのか、そうでないのか判断できない時がある。しかしそれに福田はちゃんと対応した。
 「全部、バツのアカ点だよ」