『第2会議室にて』39

oshikun2010-07-11

 2008年7月31日⑥
 しゃべりながら、福田和彦は自分の言葉に違和感を持ち始めていた。みんなに説明している言葉は、高校の政治経済のレベルにも達していないモノだが、労働者とか階級とか、あるいは争議とか権利とか、どうも自分とは不釣合いな言葉、少なくとも日頃はほとんど関係のない言葉を使っている。だからその言葉を自分の舌の上で転がしていながら、その味を掴むことができない。逆に説明しておきながら、その言葉との絶対的な距離を福田は感じていたのだ。
 「組合は単なる職場のグループとは、まったく違うんだよ。しっかりと法的な存在として認められているんだ。組合の結成には一定の条件があるけれども、一度結成されていれば、会社側は交渉を拒むことはできないし、もし拒めば、不当労働行為として罰せられることになる。組合に入っているからって、不合理な人事や待遇面での冷遇をすることも禁じられている」
 福田は広告部の男にはそう答えた。しかしそれは自分の中でもしっくりとはこない。ただ教科書の注意書きを読んでいるという感じだ。しかしこれ以外にどんな説明の方法があるのだろうか。言葉とは不思議なモノだと福田は改めて感じていた。さて手垢が付いているのは言葉の方だろうか、それとも自分なのだろうか。
 「さて、レジュメに戻るけれども、労働基準法っていうのは、文字通り労働条件の基準を定めた法律で、法の趣旨としては最低限の基準なんだけど、えてして企業はこれに準拠して就業規則を定めている。つまりは最低のレベルが、一般化してしまっているということだ。さらにこの基準法は骨抜きにされて、名ばかりの幹部社員や裁量労働制の下にある社員が、この規定から排除される場合が多い。つまりどんなに残業をしても、残業代が出ないとか、始業や終業時間がよくわからないってことだ」
 「ウチの編集部なんか、まるっきりビンゴだね。残業代なし、始まりと終わりなし」
 また2輪雑誌編集部の若い男性がいった。
 「かつてはモータータイムズ社の編集部でも、残業代が出ていた時代があるよ。でも計算が面倒だとか何んとかで、一律40時間分が出るようになったんだ。1時間やっても100時間やっても、同じ40時間分ってことになる。そして最初は喜んだんだな」
 そういったのは経理部の年配の男性だった。
 「しかし、年俸制がやってきた。それはすべてが込み込みだった。そして時節柄の賃金ダウンを当時の組合が飲んだ。結果、基本給のみの残業代なしというレベルになったわけだ」
 そう中西信也が続けた。
 「ここの職場では労働基準法も、いまや現実として『絵に描いた餅』だ。しかし押さえておきたいのは、それがここ3,4年の間にそうなったということだ。そしてみんなはわかっていると思うけれども、それは東山社長の登場とほぼリンクしている」
 福田の話がレジュメから脱線する。それにこの話題は執行部では何度が話したことだ。でもいい。ここには少なくとも数人の組合員がいるのだから。今のモータータイムズ社がゆるい違法状態にあることを、少し確認してみたいと福田は思った。