「おいしい」はおいしくない

 文芸誌に掲載されている短編小説を、つらつら読んでいたら、最初のほうに「指先が不器用」とあった。あれっ、ちょっと違和感。たしか「手先が器用」というのがフツーの言い方じゃなかったのかなぁ。でも不器用な場合は、手先ではなくて、指先になるのか。うーむ、わからない。
 今晩はいつもにも増してウマイものを食べた。それをツレは「おいしい生活」などと古いフレーズで表す。糸井重里さんは、食べ物の意味でそういったわけではないのだけれど、まあいいでしょ。それより、昔から勝手に断定しているのだけれど、いわゆる昨今の日本語の乱れの「発祥の地」は、このコピーライティングなのではないだろうか。
 この西武百貨店の宣伝文が広告媒体に露出した時代、「おいしい」という言葉は、ほぼ食べ物にしか用いられていなかった。(まあ例外的に「おいしい話」ぐらいはあっただろうけれど。)だからこそ、この宣伝文に意義というか革新性があったというわけだ。
 しかしそれから幾年月、すでに「おいしい」は「それっておいしいよね」というような具合に、その使用範囲を拡大し続けた。こういった傾向はひとり「おいしい」に限るものではない。
 てなことで、話がまた長くなりそうなので、このへんでちょん切るけれど、私としては、意味することが極めて狭小な言葉が好きだ。はい、「小手先が不器用なモノで」って、アレ。