そんなことも見過ごすなんて

 とあるネット販売サイトにバーゲンブックという項目があって、定価の半額ぐらいで売っている。多くがハウツー本とかだが、よくよく見ると欲しいかも、といった類も混じっている。
 で、いつものように調子に乗って、自分としてはの大量購入(たいしたことないけど)。
 その中の一冊に、筑摩書房刊で種村季弘さんの『雨の日はソファで散歩』があった。あのクラフト・エヴィング商會(あとがきにはそうあるけれど、本編にはブックデサイン=吉田篤弘吉田浩美になっている。まあどちらでも同じなんだけど)なのもあって、ついポチッとしてしまった。
 この本、著者の最期のエッセイ本で、本人の校正は入ってはいない。そのあたりのことも「あとがき」にくわしく、全体を桑原茂夫さんがまとめられたのだという。
 で、全体を楽しく読んでいったのたが、最後近くにハテと思うところがあった。それは「焼け跡酒豪伝」という聞き書きの文章で、初出は「彷書月刊」だという。
 曰く、「総評のゼネスト、二・一スト。これはマッカーサーの弾圧をくらって中止になるんだけど、……」と種村さんはしゃべっているのだが、これは間違いで、高校の社会科程度の理解でも、マッカーサーによってゼネストが中止になるのは1947年のこと。悲痛な面持ちで中止を告げるラジオマイクの前の丸眼鏡の伊井委員長の姿は、戦後史の重要な場面の一つといえる。そして肝心の総評が結成されたのはその後の1950年、それもマッカーサーの肝いりで、当時はゼネストなんかしない組合運動のため設立されたという、真逆の存在だったのだ。
 こんな当たり前のことを、種村さんはお酒でも飲んでいたためにうっかりミスをしてしまい、さらに校正さえすれば防げたはずで、最期の著作としてはちょっと悲しい。
 こんなことも見過ごすなんて、編集、そして校正担当の責任は重い。著者本人がすでにいないのだから、誰にでもわかる事実関係ぐらいは一つ一つ潰してほしかった。

と思ったら、「彷書月刊」の発行が2003年12月だから、種村さんも校正していたはず。あーあ、なんともかんとも。