「佐藤泰志−死から回生への物語」について その二

 その一を書いてから、はや二か月以上。続くとしておきながら、なんともみっともない状態をさらしてしまいました。


 さて、佐藤泰志が最後に完成させた小説が「虹」であり、構想を完結できなかったのが連作小説『海炭市叙景』でした。しかしそれぞれ自ら選んだその死の間際まで書き込んでいるはずなのに、切迫感といったものはまったくありません。であれば逆に諦観がこどきものはどうなのかとなりますが、私の鈍さゆえなのか、そのようなものもないのです。
 しかしこの二作、明らかに他の作品たちとは全く違った趣きがあることも事実かと思います。それは例えば臭いのなさなのか、あるいは情念の薄さなのか、もしくは躍動感と乏しさなのか、そういった類なのですが、そう書いてしまうと何かやこの二作が駄作であると思われるかもしれませんが、まったくそうではないのです。
 いわば、そこには身体にこびり付いた様々な端切れや汚れや、あるいは熱や疑念のようなものをスルリと落として、生のままの何かを描いている潔さがあるように感じるのです。
 これは作者が死を前にしたがゆえに到達した境地なのか、それともそれとは関連がなく創作者としての歩みの一つだったのかは、ほんとうのところわからないのですが、北海道新聞の私の拙文では、限りなく前者ではないか、と書いていることは読んだ方にはご理解いただけると思います。(続く)