1969年の最初の一歩

 昨日のタイトル「最初の一歩」で思い出すのは、なんといっても1969年の「最初の一歩」だろう、と書くと年齢が特定されてしまうが、まあいいでしょう。その日、人類のかなりの部分が、その一歩に注目していた。
 そう、アポロ11号の月着陸船イーグルのニール・A・アームストロング船長による、別天体への最初の一歩だ。
 しかしその日、私たちは夏休みのはずなのに、林間学校の飯炊きの予行練習ということで、学校の校庭の暑さの中で煙にむせていた。だが先生方は用務員室のテレビで、月からの生中継を凝視している。それを知った私たちが押しかけると、畳みの部屋の小さなブラウン管の白黒画面には、まさにウサギのようにピョンピョン跳ねているぼやけた宇宙飛行士がいた。
 そして彼の最初の一言は「この一歩はひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」というものだった。
 ところで、次のアポロ12号のコンラッド船長の第一声をご存知だろうか。確か「この一歩はニール(・アームストロング)にとっては小さい一歩だが、自分にとっては大きな一歩だ」というもの。彼自身が考えたのか、それともアメリカ的なウィットとして仕組まれていたのかはわからないが。
 この月面生中継はカラーテレビの販促に利用されていた。しかし11号は白黒、12号で初めてカラーのテレビカメラが持ち込まれたが、中継が始まった直後にレンズを太陽に向けたことで、故障してしまった。このトラブルについては異説があるようだが、くわしくは知らない。
 ということで、勇んでカラーテレビを買った人は、月面からのカラー生中継をほとんど見ていないことになる。当時の「カラーテレビで月からの中継を見よう!」などという車内広告にはサターンⅠB型が使われていたが、このロケットでは月まで行けないのだ。
 1960年代の宇宙開発で忘れてならないのは、米ソが競い合っていたということだろう。ケネディの60年代の末までに人類を月に送るという演説からも、その緊張感が伝わってくる。さらに一つ、このアメリカの月着陸と競って制作されていた映画がある。そのことについてはまた明日書くことにしよう。

 本日の写真は高層住宅とオフィスビルに挟まれた月。左のビルの近くに小さくあるのだが、見えるだろうか。こんなに遠く小さな月を、12人の人類が歩いたことを信じない人がいるのを理解はできる。