初めてだけど、記憶にある絵 その1

oshikun2009-11-12

 ハンマースホイの既視感
 
 絵画展に行こうとする動機は、当然ながらふたつに分けられる。
 ひとつは以前からその画家が好きで、印刷ではその作品を何枚も観ているという場合と、もうひとつが新聞や雑誌などでその画家の展覧会を知り、作品はほとんど観ていないにも関わらず興味を持った場合である。
 昨年、西洋美術館で開催されていたヴィルヘルム・ホンマースホイ展の場合はもちろん後者だった。しかし主催する新聞のサイトの広告から情報ページへとパソコンを進めていくうちに、なにやら既視感があるように思えてきた。そして実際に展覧会に行って、なんとホンマースホイ自身ではなく彼の同時代の画家ピーダ・イルステズの絵の前でそれが強くなったのだ。イルステズという舌をかみそうな画家にまったく覚えはない。家に帰ってそんなことを思っていると、何やら私の椅子の左上から気配を感じる。
 その意味を求めて私は立ち上がる。そこは本棚で川本三郎さんの本が並んでいる。そして何冊か彼の本をひきだつつ、私はやっとわかった。彼の評論集『青の幻影』の表紙に、イルステズ(この本ではピーター・イルステッド)の「お客を待ちながら」が使われていたのだった。
 このイルステズはハンマースホイの影響を受けた画家で、実際の交流もあったという。なによりその作風は、ハンマースホイを優しくしなやかにしつつ、コロー風の茶色を薄くまぶして、やや緊張感を削いだもので、さらに多くの作品の構図にも類似点が見られる。「お客を待ちながら」もハンマースホイお得意の、窓の外を見る女性の後姿である。
 さて、ということでディジャヴと呼ぶのか、そんな感覚の理由はわかったのだが、展覧会の画集を開きつつ、私にはまた別の既視感が訪れることになる。(この項目続きます)川本三郎さんの『青の幻影』。文学と映画の評論集だが、エドホード・ポッパーと横山操のふたりの画家についての評論が二篇だけ収められている。タイトル横の写真は展覧会の画集の表紙。