絵画

橋の上を描く

また17日の橋の写真を見てみたら、トリミングなしの元の写真になっていた。どーしてそうなるのかわからないけど、もう放っておくことにする。 ということで、橋の上の人といえば、あのムンクが「叫び」が有名だけど、それ以外にも何点か描いていて、個人的…

蛇足的補足の欠落

昨日の書き込むで、アレレレとなっていたのだが、よくよく考えてみると、なぜアレレレなのか、意味不明と思われた方も多かったはず。 ということで、蛇足的に補足しておきますと、取り上げた絵画に大きくコラージュされていたワシ、つまりイーグルは、アメリ…

1966年の月着陸船

「アメリカン・ポップ・アート展」で最初に目を引いたのは、ごめんなさい、知りませんでしたの、ロバート・ラウシェンバーグという作家が描いた「ナイト・グリップ」という作品。 薄い黒や朱色のシミの中に、何枚かの写真か雑誌の切り抜きを貼りつけた、いわ…

ポップアートの罠

ツイッターでもつぶやいたけれど、先日、やっと「アメリカン・ポップ・アート展」に行ってきました。 まだまだ会期は残されているし、平日だったので、客の入りはちょうどいいレベル。知っている作家は、ウォーホルとジャスパー・ジョーンズ、それにリキテン…

絵の向こう側

くどくもベーコンの続き。 濃紺バックの何枚かの絵を通り過ぎると、やや広いところに出て、今度はアクロバティックな展開が始まる。画面は明るく、しかしかなりグロテスクでありながらも、予習してきたからなのか、どうもポップアートの匂いを感じてしまうの…

ガラスの擁壁

さて、ベーコン展、その薄暗がりの中に浮かぶのは、たとえば阿鼻叫喚を瞬間冷凍したような空間である。最初のあたりに並べられた絵画の多くが背景が濃紺、ほとんだ黒とおぼしきそれに埋められていて、額は簡素な金色の枠に過ぎないが、その金色が覆う濃紺を…

絵画の前の光と客

で、ベーコン展を見てきたときの印象を、今更ながらにかき集めると、まず静謐な空気が思い浮かぶ。 静謐などというワープロがなければ使うことがない言葉を、このブログでは便利に何度も用いてきたけれど、これほどまでにベーコンの絵画そのもの、その題材、…

絵から生じる冷たさ

近代美術館に来たのは、たぶんクレー展以来だろう。その前はいったいいつか、うーむ、思い出せない。昔々、なんと父親とポール・デルヴォー展に行ったことがあるが、そんなに前ではない気がする。しかし、ベーコンにクレーにデルヴォーというラインナップは…

なかなか近代美術館に入れない。

さて、その1975年の英国肖像画展なのだが、前に書いたように私はサージェントの絵を観たくて出掛けたようだ。そう思うのは、ひさしぶりに広げた図録に、彼の絵があったからだ。しかし実はそこに載っていることも失念していたのだ。 しかしベーコンの絵のこと…

東京、その希望と幻想

さて、昨日は最後のあたりで、東京という言葉に属性について少し書いてみたけれど、ほとんど意味不明だったに違いない。 なので、今日はそのへんを補足する。 1975年の東京展というのは、日本美術展覧会、つまり日展へのアンチテーゼだった、としておくとわ…

からっ風に舞うもの

さて、数日前にフランシス・ベーコン展に行って、入り口で救急車を見掛けたまま、その先には進まず、昔々に一枚の彼の絵を観たことを思い出し、さらに当時のことをぼんやりと振り返って、まだ現代に戻ろうとはしない、まさに居酒屋のいやなオジサン状態では…

好奇心を出迎える恐竜

そしてやはり1975年の上野公園には、その時代のトレンドを表現した、といってもいいだろう新しい東京都美術館があった。近づくが一瞬どこが入り口かわからない。それは昨日書いたように、エントランスの構造が階段を下りるカタチを取っているからだ。しかし…

階段の精神構造

昨日、1975年の上野のことを書いてたら、記憶がぽつりぽつりと甦ってくる。 たしかその年に東京都美術館の建て替えが終わった。新しい美術館が古い美術館の隣に作られたから、今ならその両方を見ることができるはずだ。私はそこに行くことにした。というのも…

絵を描くフランシス・ベーコン

前には消防車が一台、赤色灯を点滅されている。人の動きはない。すぐ近くで子どもを抱いた男親が、息子よりも興味深く見ている。 近づくとロータリーには救急車も停まっていて、担架で病人かけが人を運び入れている。その手前を機動隊のカマボコが通る。何が…

金箔上の蜚蠊の緊迫感。

さて、突然ですが、ゴキブリという漢字を作るのがめんどうくさかったので、書かなかった「会田誠」展の感想文がまたまた続きます。で、どうしてかは以下の通り。 その二枚の絵は展示会場の比較的入り口近くにあった。タイトルは右が「火炎縁蜚蠊図」、そして…

彼女はノボリを高く掲げて

さて、しつこくも会田誠展の続き。 彼には有名な戦争画RETURNSという連作シリーズがあって、何日か前に紹介したように、ニューヨークを零戦が爆撃したり、かつての激戦地の島々をパック旅行のパンフで表現したり、あるいはアクロポリスと原爆ドームを…

「殺すな」から「殺す」へのあいだに

本日も会田誠展の感想文の続き。 「殺す」はLEDチーブなどで、ただ殺すという字を筆記体風に組み上げたオブジェのような作品で、天井からぶら下げられている。 しかし当日はこれを目撃した記憶がない。でも図録の会場写真には写っていたので、あったこと…

臨時パイロットの憂愁

結局のところ、会田誠展でいちばん印象に残った作品は「イマジン」だったのかもしれない。 白い紙にはかなりゆがんだ四角が四つ。その手前に開いた一辺を下にしたコという字のようなカタチがふたつ、その右側にだけ人型の上半身。 つまりコのカタチは椅子で…

近づけない記念碑

ちょっと古くなったので、ストロベリー食べナイト、といいながら、他の番組のもろもろを諦めて、フジテレビにチャンネルを合わせて観た「ストロベリー・ナイト」。ありゃいったいなんなんだ。 そしてまた続く会田誠展感想文。 「題知らず」は、アクロポリス…

灰色の山の、キミもひとり、か。

うーん、酔っ払ってゴロンと横になったら、「タモリ倶楽部」を見過ごしてしまった。うむ、酒に弱くなったものだ。ただコストパフォーマンス的にはイイか。起き出すと「まほろ駅前番外地」が映っているテレビの前のソファには、やはり見過ごしたまま寝ている…

描いたものは描かれてはいなかった。

さてそれでは会田誠展の続き。 あのテレビ番組の「ぶらぶら美術館」を観てて、あっそうだったのかと思ったのは、この前に書いた「紐育空爆之図」と、それから「電信柱、カラス、その他」だった。 実際にツレと観て回ったときは、ただスゴイ絵だなぁと純朴に…

憤怒としてのゼロファイター

そして火曜日、いつものようにBS日テレの「ぶらぶら美術館」にチャンネルを合わせると、今回はなんと会田誠展の特集ではあった。 その中で「紐育空爆之図」の下地に日本経済新聞が使われていることを知る。つまりここでも印刷物にある意味合いを持たせてい…

いまだ息づく廃墟へのつぶやき

その会田作品は「モニュメント・フォー・ナッシングⅣ」というタイトルが付けられている。同じタイトルの作品群があるが、これはその最新作で、展示する場で「作る」ということ以外にこれといったコンセプトの類似は一見したところない、などとエラソーに書い…

意味としての印刷ぶつ

もちろんあくまでシロウトの感想だけれども、会田さんの作品の手法のひとつは意味のかけ合わせがあると思う。それもものの見事に異質なもの、合わさってはいけないもの、合わさりえないものを合わせるときの軋みの音のようなもの、あるいはミスマッチから滴…

チラシで花を咲かせましょう。

しかしどうにかこうにかエレベーターを降りて、森美術館の入り口らしいところにたどり着いた。 ホールの天井からは巨大な赤提灯が垂れ下がっている。これも会田作品でタイトルは「心」。居酒屋へ入る気分で、といったところかな。それをかすめつつエスカレー…

天才への道はケワシイ。

はい、なんとなく六本木ヒルズは苦手である。真ん中のでっかい建物を中心にして、その同心円状にいろんなものがポコポコとくっついている。しかもその同心円がよく途中で途切れていたり、カタチを変えているのだ。 それに比べると、いろんなものがミルフィー…

天才も忘れたころにやってくる。

ツイッターでもつぶやいたように、本日「会田誠展」に行ってきました。いやはや、彼の天才ぶりは驚愕モノ。やはり本人がそういっているだけのことはあります。 今日はおまけにツレもついてきたので、いろいろと説明しつつ回ったのだけれど、それがまた「勉強…

一つの屋敷を巡るお話

土曜日のテレビ番組「美の巨人たち」は、エドワード・ホッパーの「線路沿いの家」が題材だった。と、改めてこの絵を観ると、アレレ、どこかでお見受けいたしませんでしたか、となるのだが、番組では、それを早々にバラしてしまう。 そう、この絵が何かの映画…

ヒデオテープとブリューゲル

25日発行のSFマガジン7月号には、先月号に引き続いて、拙作の「『惑星ソラリス』理解のために[二]――タルコフスキーの聖家族〈前篇〉」が掲載されます。 前回はレムが『ソラリス』に込めた主旨について、ロシア版での検閲を巡りつつ書いていきましたが…

会田さんのことを忘れていた。

10月4日に酉島伝法さんの創元SF短編賞受賞作『皆勤の徒』について書いたら、なんとご本人のツイッターでそのことに触れていただいた。まさに恐悦至極なのです。 で、その下の欄を見るとなんとあの!会田誠さんがツイッターを始めるとリツイートされてい…