大阪上空に舞う凧

丘を切り崩して建設された工場は、広大な敷地を持っていた。しかしさらに大きかった丘はまだ三分の一ほどが残り、その頂上部が平たくされたまま、工場の横で赤土の肌を現している。
 白い工場の壁には規則正しく真四角の窓が並んでいて、その壁と窓が夕陽を受けて朱色に染まる頃、私はおじさんといっしょに残された丘に登った。そして下に広がる田畑をふたりで眺める。すると風が吹いてきた。
「いいぞ、いい風だ」
 おじさんはそういって、凧に風をはらませた。凧はそれに応えてグングンと空に上がっていく。凧は縦に長く、太めの竹でがっちりと作られていて、新聞紙の2本のシッポが下がっていた。凧糸は野球ボールほどの大きさで割り箸に括られている。その凧糸が音をたてて解けていく。おじさんは器用に糸を手繰るとそれに凧が応えて、首を振るように上昇していく。
 「よし」とおじさんがいって、私に凧糸を渡してくれた。凧は強く私を引っ張る。私は少しよろけながら、小さな足を踏ん張った。見上げる凧には文字がひとつだけ描かれていた。
 「なんという字なの」と私はおじさんに聞いた。
 「龍という字だよ。空に昇っていく龍だ」
 その字の通りに凧は空にドンドンと舞い上がり、やがて字が読めなくなっていく。空の朱がさらに濃くなっていく。凧が小さくなっていくにつれて、手元の凧糸も小さくなる。やがて凧は空の上で点になった。
 「いま凧はどの辺を飛んでいるの」
 「そうだなぁ、大阪あたりかなぁ」
 おじさんはそういった。私はほんとうにその凧が大阪の空を飛んでいるのだと思った。
 1960年代の前半、私が小学校に入る前のことだろう。おじさんも40歳前後だったはずだ。彼は今年の1月17日、龍となって空に昇っていった。