柴又、記憶のうちに28

 未だ鉄ちゃんならず
 断定はできないのだけれど、柴又に住んでいた頃は、自分一人とか友人とかで電車に乗るということはほとんどなかった気がする。電車に乗るよりも、私たちは歩いたり自転車に乗ったりして、どんどんと遠くまで出かけていった。
 北は釣りをするために水元公園まで歩いていったし、東は自転車で江戸川を渡って千葉県の里見公園まで出かけ、帰りに江戸川に落ちたし、西は立石まで走っていって、熱帯魚を見て何も買わなかったりした。その帰り道、高砂橋からうしろを見ると、中川がうねうねと曲がっていて、遠くまで来たなと感慨にしたった(実はかなり近いのだけれど)ものだ。
 私たち柴又に住んでいた小学生にとって、いちばん身近な電車はやはり京成金町線高砂から柴又を通って金町に通じるそれということになるだろう。それ以外の電車は見ることがないのだから当然だが、特に柴又から京成金町までは単線となり、柴又街道と並行して走り、さらに私たちの「拠点」の金町公園のすぐ近くを通るのだから、格別な親しみを持っている・・・はずなのだが、やはり乗ったのはせいぜい一回か二回だろう。
 金町には郵便局があった。柴又にもあったのでどうして金町まで行ったかはわからないが、そこで私は貯金をした。貯めたのは6000円。小学生にとっては巨万の富、というほどではないにしてもそれなりの額である。しかしどうしてもローラースケートが欲しくて2000円を下ろした。その際の窓口のおねえさんの顔が未だに忘れられない。もちろんその郵便局通いも歩いていったのだ。柴又駅から出て少しカーブしたあと線路は金町駅までほぼ直線となる。写真は柴又駅近くの踏み切りから金町駅方向を眺めたもの。