柴又、記憶のうちに29

 友だちんちの二階
 友だちの家といえば一戸建てかアパートだった。昭和40年代の柴又にはマンションはほとんどなかったのである。小学生の高学年ともなれば自転車で走り回ることもあったけれど、それまではもっぱら友だちの家の前の通りか、家の中で遊ぶことになる。一戸建てならまずは二階建て。その場合、子ども部屋は決まって二階にある。そこはたまに母親がお菓子を持って偵察に来るが、基本的には私たちの「解放区」であった。
 そこではまずマンガを描く。「スタコラ星人の冒険」というタコのような顔をして宇宙人の物語だ。それを発表する場が欲しくて、壁新聞を作る。新聞なのだから文章が多くなくてはいけないと取材をして、記事まで書く。
 レコードを持っているヤツがいれば、それを録音する。しかし録音機はカセットではなくオモチャのようなオープンリールである。レコードジャケットには「録音することは法律により禁じられています」と書いてある。その不法行為をお巡りさんに見つからないようにと、ビクビクしながらスイッチを押す。マイクからの録音なので、みんなが沈黙する。その緊張感も楽しかった。
 夏休みの自由研究を仕上げる。「クラゲの種類とその生態」。友だちの絵のうまさに驚愕し、私は隅に小さなクラゲを描いた。まるっきりの図鑑の引き写しなのだけど、それはそれで勉強になった。
 クラスに一人ぐらい、親の財布の紐が緩んでいるヤツがいる。そんな家に行くと、サンダーバードの1号から5号だけでなく、映画に出てきた宇宙船や基地全体の模型までが彼の部屋に揃っている。しかし思ったのだ。オモチャの数は友だちの数に反比例するのではないかと。定数は「オモチャ」なのか「友だち」なのか定かではないが、ある程度は有効な「定義」かもしれない。自分はサンダーバード2号しか持っていなかったけれど、たぶんその一台だけでよかったのだろう。★美容院の2階も「友だちんちの二階」だった。彼のラジコンで動くブルドッグはみんなの人気者だった。