十年前の住まい探し05

oshikun2010-02-01

司令長官のおかげです。
 前口上が長くなってしまったが、ともかくも2001年の春、私は趣味的な気持ちのままにマンションの物件探しを始めることにした。当時は大江戸線西武新宿線中井駅の近くの家賃16万円ほどの賃貸マンションに住んでいた。ここだと会社まで徒歩で10分ちょっとの距離。この利便性は捨てがいが、その心地よさばかりを享受しているわけにはいかない。
 2、3年前からは新聞の広告やチラシをチェックして、インターネットで資料を取り寄せたり、近所の物件を見に行ったりもしていた。ただそれも好奇心のなせるもので、その中に購入という要素が現れたのが、01年の春だったということになる。
 そのきっかけは、なんとも変な話だが、一本の電話だった。
 「マンション鷺宮A」(仮称・以下同様)の営業部員から、モデルルームへのお誘いである。私は愛想のない口調で誘いを断った。資料請求をしていたから、私は電話を切った後少し後悔した。「資料を送ってもらいながら、その態度はないだろう」と自責の念が生じたのだ。その思いがゴールデンウィークにモデルルームに行く気持ちに結び付いた。
 物件名には鷺宮とあるが、モデルルームはひとつ先の西武新宿線下井草にあった。この駅で降りるのは初めてのこと。改札は南側にしかなく、ロータリーもないのにバス停があり、十人ほどの客が到着を待っている。その日は誰でも微笑んでしまうほど、気持ちのいい一日で、やや風が強く女子高生のスカートを揺らしている。駅に向かって歩いてくる彼女たちをかき分けて、私はモデルルームを目指した。
 正面にユニクロが建つモデルルームに到着したのは午後4時頃だった。6台程度のスペースを持つ駐車場を備えていたので、クルマで来ればよかったと思った。
 ただしもしこの日クルマで来ていたら、マンションは買ってはいなかったかもしれない。少なくとも、この日ただひとつのモデルルームを見学してそれで終わりとなっていたはずだ。
 一歩モデルルームに入るとまず空気が違う。たぶん派遣社員だろうビジュアル系の女性が、ホテルのフロントのような場所で出迎える。ゴミゴミとした外の風景とはまったく違うモノトーンイメージが広がっている。洗いざらしのシャツにガサツなズボンとズックでそこ立っている私の方が恥ずかしくなってくる。この感覚は他のモデルルームもほぼ同じだった。
 そのビジュアル系が私を商談コーナーへと案内してくれる。あまり高くない衝立にテーブルと四脚と椅子が囲まれている。
「しばらくお待ちください」と彼女が去る。慣れていない高級レストランに入り、給仕が来るのをドキドキしながら待っているという図である。
 やってきたの河村隆一のようなビジュアル系の営業マン。こちらは派遣社員ではないだろう。彼は私のまったくおもしろくない冗談にも、「ワハハ、ワハハ」とつきあってくれる。
鷺宮A」は低層階タイプのマンションである。モデルルーム内の模型やら空撮写真を見ると、周辺はほとんど2階建ての戸建て住宅が建つ、第一種住宅専用地域の中にある。ただ戸建てと接するのは南側だけで、東側は3階建ての賃貸マンション。西側は駐車場。北側は空き地というロケーションだった。そういった環境の中で、建物はカタカナのロの字型をしている。
 カタログの和室には琉球畳が敷かれている。オプションだろうけど、「ほかのと、チャイまっせ、ダンナ」という感じが見て取れる。
 しかし、残念なことにほとんどの物件が田の字型の間取りで、角部屋でない限り、4つ部屋があっても、2つは外廊下からの採光だ。全体の雰囲気はいいのだけれど、ひとつひとつの物件にキラリと光るところがない。
 価格は5000万円弱から中頃というのが中心。床面積は80㎡から85㎡。職場まではドア・ツウ・ドアで45分ぐらいだろうか。この中であえて選ぶとすれば、6000万円チョイの物件。南東の角部屋で、とにかく広い。100㎡近くあり、しかもでかいバルコニーが付いている。間取りも田の字型でなく、ちょっと凝った造りだ。しかし如何せん6000万円以上。背伸びどころか、垂直飛びをしても届かない。でも故にこの物件だけは魅力的だった確かだ。ただし隣には、賃貸マンションが建っている。そことの高さ比べによってはその魅力が半減してしまうだろう。
 しかしこのモデルルームに私は幻惑されたのだ。同じマンションでも自分が住んでいる賃貸マンションとは、まるで別世界なのである。つまり私の心はまんまとモデルルームの魔の手に握られてしまったのだ。だが沈着冷静なストレーカー司令長官のような自分も、かすかに残っていた。それが指令を発する、とにかくマンションの敷地を見るべしと。そこに向かう私はその途中で、また別の魔の手に引っかかることになってしまうのだった。