『第2会議室にて』05
2008年12月5日⑤
「つまりは、こんなことだと思う」
福田和彦はまずそういって始めた。
自動車雑誌を主な媒体とする社員120名ほどのモータータイムズ社と、自動車のアフターパーツ関連の雑誌とモータースポーツ雑誌を主体とする社員80名ほどのカーライフ出版が、2009年1月1日を以て合併することが、1年ほど前に発表された。合併後の社名はモータータイムズ社に統一されるという。
すでに何年も前から出版不況は進んでいて、発行雑誌の媒体数の増加と売れ行き部数の低下のイタチゴッコを展開していた。いつもインターネットの普及といった後付けの理由が持ち出されていたが、それには関係者のみんなも食傷気味だ。
このふたつの会社の社長は、合併がこの部門のトップクラスの統合で、業界における地位は盤石なものになると社員に説明し、それがための合併であることを強調していた。しかし社員を複雑な気持ちにしたのは、2年前に交代したモータータイムズ社の社長が、実はカーライフ社から来た人物だった点にある。
当然のことかもしれないが「噂」は四方八方から聞こえてきた。カーライフ社はすでに倒産の一歩手前の状態で、銀行から借入金の依頼を断られているとか、合併に際して某取締役の関与する会社の清算に、カーライフ社の資金が流用されたとか、合併を機に引退する役員に未曾有の退職報酬が支払われたとかいった噂が、かなりの信憑性を持ったまま流れ出ていた。
「他にもいくつかありますよ。土地の購入とか、海外送金とか、かなり明確なのが半ダースと、怪しいのが他にもまた半ダース・・・」
そう向井良行が付け加えた。
合併の話が持ち上がった時点で、自動車業界自体にはほとんど問題はなかった。アメリカのサブプライムローン破綻が発生させた不況の波風も、まだ遠い大陸の話と思われていた。しかし、今年の10月、合併の前に両社が分かれたままで、賃貸の新しいオフィスに引っ越してきたあたりから、自動車業界全体が突然、大暴風雨に突入した。
全世界を覆った同時不況が日本の産業にも影響を与えて、特に高額ながら趣向品の側面も持つ自動車の売り上げは、記録的なダメージを受けた。そしてそれはまた自動車購入動機の低下となり、自動車雑誌の販売部数低下を呼んだ。つまり自動車不況と輻輳して雑誌広告の出稿量が激減したのだ。
「ざっとこんなもんかな」
福田のその声に、太田章が応える。
「つい最近の社内事情を、もっとくわしく知りたいな」
太田の言葉に、今度は中西信也が思いを巡らし、そして口を開いた。
新オフィスは、インテリジェントビルに統合される食品会社が使っていた社屋の一部だ。それをこのあたりが、再開発計画で取り壊されるまでの6年間だけ当社が借り受けたカタチになっている。以前は倉庫として使われていたその2階建ての建物は、大きな道路には面してはいない。自動車雑誌の出版社が入るのにふさわしいかという検討はされなかったようだ。この建物を借りる際にも「噂」が存在する。
「介在した不動産業者が、相当に怪しいんだってさ」
今度は村上悟が言った。
合併はまるで「噂」の生産装置になっているかのようだった。
新しいモータータイムズ社の社員となるべく、カーライフ出版の社員も同じ場所に集まった。この未来の同僚たちも、まだ別々に仕事をしている。編集部や広告営業部は当然かもしれないが、経理や人事の仕事も、統合の準備さえ行なっていない。会社の上層部以外はほとんど人的な交流がない。当初は引っ越しと同時に大幅な人事異動を行なうと宣言していた。だから両社の社員も身構えていた。しかしそれは結局行なわれず、不思議な雰囲気が漂う社内のままに、2008年がもう少しで終わろうとしている。
このオフィスの外では、100年来とマスコミで喧伝されている不況の嵐が吹きすさんでいる。そして社内にも静かにしかし確実に、その嵐を利用して別の暴風の予兆が表れ始めている。
「こんなことだろうか」
中西がいう。
「ちょっと簡単過ぎやしないかい」
「具体性に欠けるね」
「まあ、今日のところはこんなことでいいんじゃないか、それより緊急の課題に対処しようよ。とにかくこれからは忙しくなる」
最後にそうまとめた福田は、ほんの数ヶ月前の自分自身のことを思い出していた。