『第2会議室にて』06

oshikun2010-03-24

 2008年7月10日①
 5ヶ月ほど前に話は戻る。
 福田和彦はパソコンに向かっていた。画面には、走っている自動車が小さく何枚も表示されている。プロのカメラマンが撮影したので、そのほとんどはしっかりとピントが合っている。福田がその中の一枚にカーソルを載せてクリックすると、その写真が画面いっぱいに拡大される。そしてさらに写真を大きくすると画面には一部分だけがアップされる。それをドラッグさせて、車のフロント部にピントが合っているか、タイヤは回っているか、そして周辺に変なもの、例えば通行人とか鳥とかが写っていないかをチェックする。問題が無ければ掲載用のフォルダに移動させる。該当ページは基本的なレイアウトができているので、それに従って車の外観やインパネ、シート、モデルを使った運転姿勢や乗降姿勢を選んでいく。モデルを使った写真の場合は、いい表情であることはもちろんだが、その表情が隣の写真と重ならないようにしなくてはいけない。顔を拡大していくと実物よりも大きくなる。
 顔をアップしたところで、くわしくチェックするわけではない。7月の炎天下に撮った写真なのに、モデルはまったく汗をかいていない。顔をアップすることに少し罪悪感を持って画面をドラッグさせる。革シートのステッチが少し痛んでいる。フロアマットの小さな木の葉が載っている。モデルの膝小僧のかさぶたの痕を見つける。そんなときには必ず後ろを人が通る。
「おっさんが、何やっているんだか・・・・」
 それはモデルの顔を何枚も比較検討している福田への、かすかに羨望の想いを込められた言葉である。
 しかし今回の写真は暗い。小雨決行の撮影だったので、光が回り込んでおらず、黒いシートだと車内は真っ暗になる。それでも少しは明るい写真を選ぼうとすると今度は、モデルの表情が良くない。その場合はモデルの表情を優先させる。暗さは補正なんとかなるが、モデルの顔立ちは修正がほぼ不可能なのだから。そういえば彼女たちは最近スカートをはいていない。無理な姿勢をさせていないはずだが。
 最近、50歳代となった福田は、この作業をしていると『ブレード・ランナー』という映画を思い出す。未来社会を描いたその作品には、写真を小さな機械に入れると、その写真が大きく引き伸ばされ、写されていない側さえ見ることができた。さすがに今のパソコンではそこまではできないが、それでもいま自分がやっていることは、映画が公開された1985年には、ほとんど想像できなかったはずだ。
 最近まで写真選びは、ポジフィルムをライトデスクの上に載せてルーペで選ぶことだった。しかし今、彼は主演のハリソン・フォードのように機械で写真を操っている。それはちょっと別の世界に入り込んでしまった気にさせる。もちろんそれは紙芝居体験があって、家に電話が入った日を憶えていて、テレビといえばアンテナと脚のある白黒テレビを想像する50歳過ぎだけだろう。
 そんな感慨に浸っている福田に内線電話の着信音があった。
 「すみません。福田さん、ちょっとお時間ありますか」
 経理の太田章の声だった。いつも陽気な彼の声の向こう側に、何か冷たいものがあることを、福田は気づいていたかもしれない。
 彼はまだ30歳代にも入っていないはずだ。
 「うん、売るほどあるけど」
 福田が答えた。
 「いえ、あの買いませんが。でですね、とにかく第2会議室に来てくれませんか」
 どうやら現金請求伝票の出金ではないらしい。
 「なにかいいことでもあるの」
 「たぶん、いいことってことではないと思いますけど・・・」
 福田は重い腰をさらに重そうに上げた。パソコン画面と3時間ほど格闘していたのだ、少し休んでもいい頃だ。しかしその考えが間違いであったことに、彼は1分後に気付くのだ。