『第2会議室にて』08

oshikun2010-03-30

 2008年7月10日④
 「それじゃ、抜けた石川さんが副委員長だったので、福田さんがそれも引き継ぐということでいいですね」
 委員長の中西信也がいう。
 「石川さんって、副委員長だったのか。それじゃまあ、しょうがいないだろうな」
 「それすら知らなかったんですか」
 太田はそう突っ込んだ。
 「太田が執行部だったことさえ、知らなかったよ」
 福田和彦は、このようにして突然モータータイムズ労働組合の執行部に入ることになった。
 「正直にいうけど、実はこの会社がどんな感じになっているのか、まったく知らないよ」
 福田はほんとうのところから始めた。この福田の言葉を受けて、中西はそれでは自分は何を知っているのかを考え始めた。
 当時モータータイムズ社は、同業他社の出版社であるカーライフ社と合併する予定であることを発表していたが、それがどのような内容で、社員にはどんな影響があるのかはほとんど知らせていなかった。そしてそのモータータイムズ社自体が、半年ほど前にその取締役の多くを入れ替えたばかりだった。
 「自分たちも何も知らないんです。知っているのは知らないということだけ。だから福田さんとほとんど同じです。会社は合併の内容については何も教えてくれないんです」
 太田はいつもこういう言い方をする。
 中西が30歳と少しで中途入社した頃は、50歳代の社員が組合活動を主導していた。ただしその頃の組合活動といえば、年に一回の賃上げ交渉と年二回のボーナス交渉ぐらいで、組合執行部はその時期になると組合大会を開催して、組合員の要求をまとめ団体交渉に臨むという、まさに年中行事のような活動に過ぎなかった。
 執行部はわざとリークされた会社側の事情を加味して要求を調整し、それに会社側もちょっとしたニュアンスを含めて回答を提示する。そんな時代だった。
 「そもそも最近の執行部会って、どんなことを話しあっていたんだい」
 福田は太田の方を向いていう。
 「それがあんまりないんです。賃上げも、ボーナスもないから。だから合併後のことだけが話題といえば話題です」
 どうやら今日の福田の話相手は、太田が受け持っているようだ。
 「ところで、どうして年俸制になったんだっけ」
 「それは石川さんが委員長だった時代です。あの人もこれは大変なことだって、組合大会を何度も開いたんですけど、あんまり人が集まらないですよ」
 組合活動を担ってきた年配の社員が定年退職したり、あるいは幹部になったりすると、それを継ぐ組合員に、もともとの組合の権利という根本的なことが継承されなかった。組合の活動自体も、不況とリンクして低迷していったといってもいいだろう。
 当時の田中眞人社長は出せるものはすべて出す、出さないものはまったく出せないという考え方だったので、賃上げや賞与の交渉も折衝といえるものではなかった。会社側に金のある時は、組合の要求を上回る回答を出して執行部を驚かせもした。まったく金がないときでも、とりあえずどこからか金をかき集めてきては、最低限の賃上げと最低一月分の賞与は実現させていた。
 「そうだろうな。俺も組合大会にはまったく出る気がなかった」
 福田はその頃のことをぼんやりと思い浮かべていた。
 2年か3年間、組合活動には一組合員としても一度も参加していない時期がある。かつて執行部員だったときの大会で、ひとりの組合員とのやり取りが原因だったと福田は思っている。しかしそうではなかったのかもしれない。だが、あまり思い出したくない出来事だった。
 「委員長の石川さんだって忸怩たる思いだったはずですよ。会社側からこうしてくれといわれて、それはまずいと感じても、反論するための仲間の応援がぜんぜんなかったんですから」
 そしてその2年ほどで、モータータイムズ社の環境は大きく変わっていた。会社は年俸制というシステムを導入したいと提案し、当時の労働組合はそれを是とした。福田自身が組合活動から遠ざかっていた時期と重なる。その頃の組合執行部と会社側で、どのような話し合いがされたかは知らなかった。しかしそれが重要なターニング・ポイントだったには違いない。
 「つまり年俸制の導入というのは、その大幅な賃金ダウンだけでなく、組合の力を試す役割もあったわけだ。そして組合は見事に敗北して、外濠を埋められた、ということだね。そうか家康か、なかなかの策略だ。そして今度の合併で豊臣家の滅亡ってところだな・・・」
 「福田さんがそんなことをいってもいいんですか」
 「そうだね。確かに。でもね、きっとそうだ。うーむ、これはそうとうにリカバーが難しい問題だぞ」
 福田はワザと腕組みをした。
 集会を開いても、すでに給料は年俸制になっていて、賞与も廃止されていたので、なんら討論することがなかった。そもそも集会を開こうにも、執行部員ですら全員揃わないという状況で、労働組合としては休眠状態だったといってもいい。そんな時期にロートル編集部員である福田は、また組合執行部に戻ってきたことになる。
 組合執行部の定員は6名で任期は1年。今年の改選で福田が次点だったことを、彼はこの時初めて知った。石川の抜け穴を塞ぐ彼の任期はあと9ヵ月だけだ。
 かつて福田は高等学校の政治経済の教師を目指していたので、労働組合がどんなものであるのかを基本的には知っているつもりだが、それも教員採用試験に落ちた1980年頃までのこと。それからもう30年近く経つ。その後、労働法や労働環境がどう変わったかなんていうことは、会社の事務系社員の一年生よりも知らないだろう。だから新しい組合執行部に選ばれても、とりあえず何をすればいいのか、まったく見当が付かない。ただ福田は失ったモノの大きさだけは確認していた。
 「とにかく質問状を出そう」
 福田は腕を解いてそういった。みんなはそれに頷いた。