『第2会議室にて』17

oshikun2010-04-29

 2008年7月14日②
 委員長の中西信也が、フッ、と息をついてから話し始めた。
 「そうだね。リトマス試験紙というか、観測気球というか、まあそんな感じだと思う。簡単に説明すると、質問1は、いわば全社員の疑問といったところだろう。この前の組合集会でもいろいろな情報が飛び交っていたけれど、具体的な話は何一つ会社から出てきていない。もう合併までは半年もないのに、それじゃ困るっていっておいた方がいいということだ」
 向井良行が天井を向いていう。
 「前の団交では、合併委員会が月に2回開催されるので、その内容は順次報告するといっていたはずなのになぁ」
 「それを団交で約束したなら、履行できていないのは、そのまま労働法的に違法行為となるかもしれないな」
 福田和彦が付け加える。
 「そうなんだ。知らなかった。あの時は勝手にいろいろとしゃべっていたよ。まあ、誰も信用していなかったけれど」
 太田章が即座に反応したので、福田が返す。
 「団交での発言はかなり重いんだよ。その辺の立ち話とはまったく違う」
 中西が話を続ける。
 「質問2は、労働組合として最高に重要なポイントだ。労働協約については前の田中社長のときには、ナアナアでやってきたけれど、今度の社長はかなり温度差があるようだ。そのあたりを知るためにも、こういった質問をしてみる」
 「なにせ、組合は共産主義運動だからな」
 村上悟が笑いながらいった。中西と福田以外のみんなが笑った。
 「なんだい、そりゃ」
 福田が村上に尋ねた。
 「いゃあ、福田さんから聞いたんだよ。『組合さんもいまどき共産主義じゃないだろう』って社長がいったってさ」
 村上の言葉を河北たまきが継いだ。
 「この前の飲み会、じゃなかった『臨時執行部会』でその話になったの。社長面談での彼の発言・・、福田さんもそう聞いたんでしょ」
 「ああ、そうか確かにそんなことをいっていたね。まあ、難しくいうとサンディカリスムってことになるけれど・・・」
 福田の言葉の受け手は、いつも太田のようだ。
 「なんですか、そのサンディなんとかっていうのは」
 「労働組合の力で直接権力を握ってしまおうという、いまでは天然記念物のような思想のことさ。しかし東山社長がこのことを知っている可能性は、上野のサルが相対性原理を理解しているよりも低いだろう・・」
 中西は、話が長くなりそうな福田を抑える。
 「いいかい、続けるけど。さらに質問3と4は、この前の集会が一番盛り上がった項目といえる。話題になっていた点は、直接的には質問しないけれど」
 そういって中西は一枚のコピーを福田に見せた。どうやら福田以外のみんなは、これをすでに読んでいたようだ。それは出版業界紙の記事で、東山社長が社長室の片隅でにこやかに笑っている写真も掲載されていた。
 「インタビューに応えて、社長は『自分の仕事は1億円の報酬に値する』といっている。でもそれについては、あまりに恥ずかしいから質問には含めなかった」
 中西はそう説明した。
 「みんなの給料を2割から3割カットした後ですからね。呆れてモノがいえない。そして面白いっていうか、どーしょうもないのがその写真です」
 太田は福田に記事が見えるように、それを差し出してからいった。
 「社長の後に何冊か本が並んでいるでしょう。その中で一番目立つヤツ・・・」
 福田は眼を凝らして、背表紙を読む。
 そこには『誰でもデキる楽々リストラ術・・・アナタの会社もこれでリフレッシュ・・・』とあった。
 なかなかスゴイ社長だな、もちろん否定的な意味でだが、福田はそう思った。
 東山社長は会社が自分のモノで、思ったことがすべて実現可能だと考えているようだ。しかもその考えには深みがまったくない。そういったキャラクターの持ち主を、これから相手にしなくてはならない。福田はさらにイヤな気持ちになった。田中社長のときとはまったく違う時代、それが始まろうとしているのだ、いやそれは違う、もう始まっていたのだ。福田は気付きながら、それを見ないようにしていた。たぶん自分はそのことを恥じるべきなのだろう。
 「それじゃ、この質問内容に問題がなければ、これを週明けにでも会社に提出します」
 中西はそういって会議をまとめた。
 「何年ぶりだろう。こういった質問を会社に叩きつけるのって」
 向井が呟いた。
 「そうだな、15年振りぐらいかな・・・」
 そして福田は、その頃のことを自分の思い出話のように語り始めた。