『第2会議室にて』18

oshikun2010-05-03

 2008年7月14日③
 「その頃の会社のシステムは、今よりもずいぶんとシンプルだった」
 福田和彦の話に村上悟が頷く。あの時代を知っているのは、このふたりだけということになるのだろう。今の東山社長とはまったく違う、田中社長の不思議な時代のことだ。
 「いい機会だから、その頃のことを少しだけ話そうか。どうだろう」
 福田のその言葉に、みんなの眼が興味深げに光った。
 「それじゃ、簡単におさらいしてみようか。あの頃の経理担当取締役は、かなりのご高齢だった。で、そのせいかどうかは定かではないけれど、彼の経理上のミスがあって、印刷会社への入金が期日に行なわれないことが、突然わかったみたいなんだ。つまりは不渡りになってしまうってことだ」
 福田はその日は休日出勤をしていて、70歳近い経理担当取締役と彼の部下の女性が、社内を右往左往していたのを目撃した。休みの日にその取締役を見かけたのは、前にも後にもこの日だけだ。週明けの事態をできるだけ休日中にリカバーしたかったということだろう。そして月曜日には当時の田中社長が、直接その会社に出向いて土下座をし、事態の収拾を図ろうとしたという噂が数日後に流れた。
 「あの田中さんが土下座ですか」
 太田章が不思議そうにいった。
 「あくまで、噂だけどもね。でもあの社長ならやりかねない。そういえば自分の財産を現金にして持っていったという話もある。土下座に比べると信憑性は怪しいけど・・・」
 「今の社長なら、逆に会社の金めのモノを包んで持っていってしまうだろうなぁ」
 村上は辛らつだが、的を射ている。福田は話しを続けた。
 「先方の直接の担当者は経理上のミスということを理解してくれたが、幹部たちはそうはいかない。まあ、信用に関わる大きな問題だから、即座に定期刊行物以外の受注を停止してしまったんだ。つまり不定期刊行物の編集部は、どこが印刷してくれるかわからない雑誌づくりを続けなくちゃならなかったというわけさ。このことが後の取締役の刷新につながったはずだ。そして組合もこれを印刷会社以上に大きな問題だと考えるようになった。ちょっと間違えば、経理上の凡ミスで倒産していたんだからね」
 そして急遽、組合大会が開かれた。当時の執行部は組合員が持っていた情報をかき集めて、会社の問題点の多くを洗い出した。すると田中社長の交友関係へのかなりの数の不明瞭な出資があることが明らかになった。例えば、返本率100%に限りなく近い出版企画や理由価値のない土地の名義貸し、ヘリコプターの部分所有などだ。出版社の定款にない案件も多かった。
 「田中さんは積極的で奇抜なプレゼンテーションに弱かったのだろうな。学生からそのまま社長になったので、社会経験がまったくなかったことも理由といえるのかもしれない」
 「それで組合はどうしたの」
 河北たまきがいった。当然の疑問だ。
 「問題点を箇条書きにして、そのひとつひとつに答えてもらおうと団交に臨んだんだ。それは今回の質問状よりもそうとうに辛らつなモノだった。でも、具体的な回答はほとんど得られなかったな。経営内容を開示することはできない・・・っていう一点張りでね。ちょっとでも議論が熱くなると、それなら君たちが経営すればいい、自分は社長をやりたくてやっているわけじゃないんだ、っていうことになる。でも結局は自分がいろいろとだまされてきたってことには気が付いたんじゃないだろうか」
 「その頃の田中社長は、もしかすると不安でたまらなかったのかもしれない」
 村上は福田の話に同意するようにそういった。
 「社内では絶対の自信を持っているようかのように振舞っていたけれど、社員はなんとも思ってはいなかった。かなりの額の賃金をもらっていたし、それが以前から既得権化していたからね。だから、わざわざ田中社長に、積極性や奇抜さをアピールする必要がなかったんだ。つまり田中さんは、自分をチヤホヤしてくれる人が欲しかったけれど、社員はこの望みを叶えてはくれなかった。そこに外部の人がつけ込む隙間ができたんだ。結果として田中さんは湯水のごとく彼らに資金を流した。まあウチぐらいの規模の会社には掃いて捨てるほどある話さ。別に珍しいことじゃない」
 「そしてよくあるように、やがて湯水が枯れてしまったのか・・・」
 中西がそういった。
 「いや、そうとばかりはいえないと思う。ここは難しいところだな。ほんとうに枯れてしまったというのなら、その井戸を覗いてみたいと思う」
 福田はこのあたりが大事なポイントだと考えている。
 「そして今度の社長は、もう枯れ井戸なんだといっておきながら、別の場所に満々と水を湛えた井戸を隠しているかもしれないしね」