天頂の小さき窓ひとつ

oshikun2010-05-22

マルクス・エンゲルスと革命ロシア』
和田春樹(勁草書房・1975年)
 1868年に、ペテルブルグの相互信用組合に勤める一青年、エヌ・ダリエリソーンからマルクスに一通の手紙が届くところからこの本は始まる。精緻な論文であるにも関わらず、この手紙がこれからの歴史的展開の糸口になっていく点で、物語性さえ感じさせる。
 手紙の主は『資本論』の翻訳の許しと第2巻の発送を求めていた。晩年のマルクスにとって興味のひとつは、自らの「法則」と違うロシアの動向だった。そして、この一通の手紙はそこへの回路が通じさせたのである。
 マルクスのロシアへの関心はさらに高まり、やがて自身の「マルクス主義」に微かな「疑い」さえ持つようになる。そしてその視線は、ロシアの農村共同体の解明に向けられる。特殊な形態であるそれは、単なる歴史的な遺構なのか、それとも社会主義への新たの規範なのか。その解釈の差異は、やがて革命を担う諸党派の根源となる。
 タイトルから、西欧思想のマルクス主義が、いかにして後進国ロシアに移植されたかを論じたものと思っていた。もちろんその側面はあるのだが、それはほんの一面に過ぎない。
 ヨーロッパ亡命中のナロードニキの思惑、ロシア国内の研究者の論考、そして文献によって解明に努めるマルクス、それらが複雑に絡み合って、19世紀ロシアの可能性と方向性が、党派性の軋轢を含みつつ模索されていく。
 マルクスは自分の考え方が、不十分な理解の元にロシアに移入されていくことに大きな不満を持っていた。結果、マルクス主義を名乗る党派よりも、ナロードニキ的な潮流に好意を持つこともあった。
 数多くの活動家や研究者が登場し、それぞれの主張を展開していく。そしてそれはマルクスエンゲルスの死後も続けられる。しかし素人がそれらをフォローするのは困難。ただどのような論議があったのかを、一度頭の中に通過させれば、その雰囲気だけはつかめる。まるで天頂の小さな窓が開いたかのように。
 そしてやや短絡的にいってしまえば、今までも語られてきたようにロシア革命において、マルクスエンゲルスの「立ち位置」は、また別の場所であり、そして農村共同体の可能性こそが彼らの淡き期待だったのではないか、ということである。
 昔々のその昔、学生時代の先輩から「ロシアにはミールと呼ばれる社会主義の可能性を含んだ農村共同体があったのだけれど、ロシア革命はそれを潰していった」という意味の話を聞いたことがあった。その意味の片隅に30年ほどたって、やっとたどり着いたようだ。