凄惨なるヨーロッパ

oshikun2010-07-02

ブリューゲルへの旅』中野孝次(文春文庫)
 読み終えるのにずいぶんと時間が掛かってしまった。字は大きく、挿絵もたくさんあるのだけれど。この本を読もうと思ったのは、タルコフスキーの『惑星ソラリス』を「解読」する一助になるかもしれないと考えたからだ。ご存知のように、『惑星ソラリス』にはくりかえしブリューゲルの「雪中の狩人」が登場する。
 しかし『惑星ソラリス』の深淵はさらに広がり、私の中にはブリューゲルの深みさえ別に発生してしまった。やれやれ、である。
 中野さんはヨーロッパでのブリューゲル体験の前に、自身の幼少時代を披露している。そして突然、夏目漱石による『土』の序文に触れているが、この『土』はもちろん長塚節の作品である。漱石はその序文を書いたわけだが、近代文学に疎い私は、ここで少し戸惑う。
 中野さんはこのようにして、さまざまな作品と自分の体験を混ぜ合わせて、ブリューゲルの「深淵」を覗き込もうとしているようだ。
 しかし私の疎かったのは日本の近代文学に留まらない。中世ヨーロッパの実像を、ほぼ知らなかったといっていいだろう。中野さんはそれを独特な筆遣いと参考とされる作品、そしてブリューゲルの存在を混ぜ合わせて描いていく。
 登場する「参考文献」は、シラーの『オランダ独立史』、中山公男の『西洋の誘惑』、オットー・ベネシュの『北方ルネサンスの美術』、ファン・マンデルの『画家伝』、グイッチャルディーニの『全ネーデルラント誌』、ホイジンガの『中世の秋』、阿部謹也の『ハーメルンの笛吹き男』、そしてステカウやグローマン、土方定一の『ブリューゲル』などで、それらが、やはり唐突に紹介されて、中野さんの思いと重ねられていく。しかしそのほとんどを私は知らなかった。
 ただ一つ、読んではいなかったが野間宏の『暗い絵』だけは知っていた。もしかすると本棚にあるかもしれないと、文庫本の棚を探すが、手に取ったのは桐山襲の『スターバト・マーテル』だった。なぜか手が伸びたのである。これを読んだのは、ブリューゲルにそれほど関心を持っていなかった時期だったが、頭の奥の小さな破片が反応したのかもしれない。その破片はパラパラとページを捲るとすぐに見つかった。ある山荘での物語の記述の中に、『雪中の狩人』について、わずか3行ほど触れていたのだ。そしてさらに不思議なのが、桐山さんは絞首台がカンバスの中心に描かれている、としているのだが、複製画を観る限りそれらしきモノは描かれていない、ということだ。
 そして『惑星ソラリス』やブリューゲルの謎は、さらに深まってしまうのである。

[お知らせ]上の長塚節は偶然なのですが、今回、私の拙い短編小説が「長塚節文学賞」の優秀賞をいただきました。とりあえずご報告まで。