リストラ昔々

oshikun2010-07-07

 くわしいことはわからないのだけれど、ちょっと前まで「リストラなう」というブログが評判であったようだ。そこには、某大手出版社の希望退職に応募した某社員の、退職までの日々が綴られていた。かくいう私もどこか別のブログで紹介されていたのをきっかけに、けっこう最初の方から毎日チェックしていたのである。たしかにほぼリアルタイムの展開は、面白かった。またとても読みきれないほど膨大なコメントは、現象としても興味深い。
 それが今度は本になるのだという。「リストラなう」の最後は、その著作権に関する告知やらなにやらで、かなりややこしい状態になっていたけど、読んでもつならないので、結局どんな展開に落ち着いたのかは知らない。
 しかし版元の方は、そうとうにあせって出版しようとしているようだ。でもはたしてこのブログを本というカタチに再構成して、成り立つのだろうか。まさにネタの腐り加減が勝負の分かれ目といったら失礼だろうか。
 今書いたように、この「リストラなう」はまさに「なう」が命だった。ブログ主のたぬきちさんは今日は何をしたんだろうと、興味津々で多くのアクセスがあり、コメントもその「群衆」の中に隠れることができるがゆえに、膨大な数となったのだと思う。そしてそれはネット上だからこそ可能であり、また「楽しかった」のではないだろうか。いまさら本にしたところで、もう「書き込み」も「コメント」も、ネタとしては賞味期限が過ぎ去っている。いや媒体を違えてしまっては、もう文章として生きてはいないような気さえする。紙の上に並べられたそれは過去の「標本」に過ぎないのだ。
 と辛辣なことを書いてしまったけれど、今回のこの事例は、メディアのありようをかなり的確に表現していると思う。ブログは、ほぽタイムラグなしで一人で作れるメディアであるのに対して、出版はネットに比べると愚鈍とも思えるほど時間が掛かり、多くの人の手を必要とし、さらに細かい約束事に左右されてしまうメディアである。しかし決して前者が後者にまさっているというのではない。題材として、前者でしか表現できないものもあれば、後者のように、作り込みを必要とするものもあるということだと思う。