『第2会議室にて』46

oshikun2010-08-27

 2008年8月19日②
 福田は石原といっしょに仕事をしたことはないが、入社当時はアドバイスをもらったことがあった。福田は広告業界から転職してきたので、同じようにページ物を作るにしても、仕事の進め方がかなり違っていた。福田が所属することになったモータースポーツ雑誌の編集部は、その直前まで石原がいた部署だったこともあって、福田の仕事は石原がしてきたこととかぶる部分があったのだ。だから福田は仕事の上で疑問が生じると、部署の同僚に聞くよりも先に石原に聞くことが何回かあった。
 そんな石原に福田は一度だけ恩返しをしようとしたことがある。総合自動車雑誌の編集部に異動した石原が、急に全国各地のサーキットを紹介する記事を書くことになったのだが、そのコース図が彼の手元になかったのだ。
 幸い福田は印画紙に焼いたそれを何枚も持っていた。コースが黒く太い線で描かれているだけの簡単なもので、通常「紙やき」といって、それを拡大か縮小して版下にしていた。だからサーキットの名前は記載されてはいない。だがコースのレイアウトを見れば、それがなんという名前の施設なのかは、この業界で知らないはずはない。だから裏側にメモ書きする必要もなかった。
 だが石原はそのことに疎かった。恩返しのはずが、福田はその時初めて石原の才覚を疑った。モータースポーツ雑誌に何年かいたのなら、知らないはずのないことを石原は知らなかった。それでも福田は求められるまま、サーキットの名前を教えていった。
「これはフジですね」
「えっ、フジ・サーキットかい」
「いや、富士スピードウェイっていいます」
「で、こちらは鈴鹿です。鈴鹿サーキット
「それは知っているよ。わかった」
「これは少し前まで西日本だったけれど、今は美祢になっていますね。美祢サーキット」
「ミネってどう書くのかな」
「ああ、MINEってローマ字表記でもいいかと思いますよ」
「こちらは菅生です」
「菅生サーキットかい」
「あっいえ、スポーツランド菅生です」
 福田はそうやって国内サーキットのコース図の紙焼きを十枚程度、石原に渡した。何か別のモノもいっしょに渡していたのかもしれない。それは二十年近く前のことだった。
 一度も編集長になったことのない彼が、取締役として抜擢されたときはみんなが驚いた。そして今は組合に対応している。不思議なこともあるものだと福田はちょっと思ったが、すぐに思い返した。それはぜんぜん不思議なんかじゃない。