野外上映会の夜

 空の青色が濃くなる。それに朱色が混じっていく。蝉の声が静かになり、ちいさな風がふと木々を揺らす。
みんなが小学校の校庭に集まってきた。映画が始まるまでには、まだ時間があるが家にいるよりも、外にいた方が気持ちがいい。早めの夕食を簡単に済ますと、子供だった私たちは、落ち着かない気分で学校へと足を向けたのだ。
 1960年代、東京の小学校の校庭は、まだ地面が土だった。そこへ子供たちは思い思いの場所にゴザを敷く。大人たちはあとからやってきて、団扇を手にして世間話を始める。まだ空は明るい。
 昔、学校の校庭では夏になると映画の野外上映会が開かれていた。昇降棒や鉄棒にロープを通してきつく縛り、それに白い幕を吊るせば急ごしらえのスクリーンが現れる。それは子供たちにとって見慣れた校庭が異境の地となることだった。
 彼らは大人たちに怒られない程度の節度をもって、そのスクリーンで遊ぶ。下を通り抜けたり、体を押しつけてオバケのまねをしてみたり。たまには興が過ぎて、大人たちの誰かが怒る。しかし一喝すればもう終わり。子供たちは四方八方に散り、またしばらくするとスクリーンの近くにやってくる。そうしているうちに空は暗くなっていく。
 星がひとつ見えると、何の星であるかはおかまいなしに、「いちばんぼし、みぃーつけた」と子供の誰かがいう。それはほんの少しの間だけの自慢。
 そして映画が始まる。映写機も外にあるので、カタカタという音も聞こえる。そしてもちろん隣の道を走る車の音や風の音も効果音となる。
 映画の内容は覚えてはいない。家から歩いて3分ほどの小学校の校庭で開かれた野外上映会の思い出は、すべてがスクリーンの外での出来事だ。その頃は映画にとっての転換期だったのだろう。家庭にテレビが入ってきて、映画が映像を独占していた時代は終わり、映像が身近な存在となっていく。お金を払って映画館に行かなくても、家でニュースや歌やドラマに接することができるようになったのだ。
 野外上映会は私の映画初体験ではなかったはずだ。それまで映画を観たことがなければ、少しは関心を持って眺めていただろう。もしかすると映画を理解できるほど大人になっていなかったのかもしれない。一瞬だけ見た映画の画面はモノクロの日本映画で、やや高い声を出す女優が田舎道を歩いていた。それが自分の興味の対象でないことだけを確認して、また周りの遊びに戻っていった。
 もし映画が総天然色だったら、少しは記憶に残ったことだろう。当時のテレビは白黒だったので、色付きの映像は映画館でしか見ることができなかったのだ。その頃の映画のポスターには誇らしげに「総天然色」と銘打ったものが多かった。
 子供たちは遊ぶのに飽きると、意味も分からず、スクリーンの後ろから映画を覗いたりした。そこには、ひっくり返った原悦子や佐分利信が映っていたのかもしれない。
 そしてまたその辺を走り回るのである。暗い校庭は、映画よりもずっとスリリングで、なにより場所にいることを許される機会は少なかった。薄暗い学校の裏側は子供たちにとって深淵なる魔境になった。それを私たちは思う存分楽しんだ。
 突然の風にスクリーンがたわむ。名女優の顔がゆがむ。でも大人たちは誰も笑わない。だから、それを観ていた数少ない子供たちも笑わない。1時間半ほどの時間、その場の人たちは画面に意識を集中させた。まるでそのスクリーンと観客を覆うカーテンが下ろされているように、まわりの雑音は耳には届かない。
 夕涼みがてらに近所の人が集まり、お菓子や飲み物を囲んでは上映前に世間話をして、ちょっとお酒を飲んでしまった隣のおじさんが居眠りを始めても、それはのちのちのためのエピソードだ。
 そんな野外映画会が、なんと現在も行なわれていた。さて、今夜はいったい誰が一番星を見つけたのだろうか。
★友人と赤羽で飲み歩いていると、小学校の校庭で映画の上映会が行なわれていた。しかし出店などがあって、かつてのそれよりもかなり派手であった。映画のスクリーンは写真の真ん中の水色に見える部分。アニメを上映中だった。