京都へっぽこ珍道中 その六

 銀閣寺に入って、最初に目の飛び込んできたのが、これ。
 円錐台形のそれは、高さは1.5メートルぐらいはあるだろうか。
 まるで映画『2001年宇宙の旅』で、石板を前した猿のような私である。でも猿が石板に影響されて武器を作ったのに、私は少し胡麻プリンが食べたくなったくらいだ。 
 足元のプレートを見ると、向月台(こうげつだい)とある。どうやら月を眺める場所ということだが、実際に昇ったりしたらに崩れてしまう。つまりはイメージの世界なのかもしれない。
 くだんの猿も「月を見るもの」という「名前」だったね。
 この向月台と下の写真の銀沙灘(ぎんしゃだん)は、月の光を銀閣へと導くサーチライトの役割もしているようだ。だがなんとも近代的な造詣ではないか。
 これを見て思い出したのは、ルーブル美術館の透明なピラミッドである(行ったことないけど)。当初はモダン過ぎてルーブルに似合わないといわれたが、昨今は落ち着き始めている。
 それに比べると、江戸時代からのこれらの「砂盛り」は、銀閣とは激しくコンセプトが違っているが、それゆえに絶妙なバランスでマッチしている。それも「銀」なるがゆえであって、決して「金」ではそうはならないだろう。
 江戸期の庭園プランナーの技に拍手である。
 私たちは錦鏡池(きんきょうち)を半分回ってから、展望所へと昇る。道中の紅葉もまた見事。
 展望所に到着して眺めると、また銀閣と木々の妙が楽しめる。ただし、ここまで昇ってしまうと、京都の街並みも視野に入ってしまう。 こういった庭園の散策は、外部との途絶によって趣きが高まるので、ちょっと残念ではある。しかし趣きの「頂点」で現実を知るのもまた一興なのかもしれない。
 展望所あたりの黄色い葉に太陽の光が透けてきれいだった。赤い葉ばかり観ている目には新鮮。

 銀閣の上には鳳凰が羽を広げている。やっぱり銀閣には詩仙堂のような鬼瓦は似合わないよね。

 庭内をだいぶ進んだ頃、スパシーバ軍団が入り口近くに見えた。また参拝料のあたりで「まごついた」のだろうか。
 私たちはこれから哲学の道へと進む。