京都へっぽこ珍道中 その七

 銀閣寺を出て、土産物商店街に後ろ髪を引かれつつ、私たちは哲学の道を目指した。といってもデカルトやカント、ショーペンハウエルを紐解こうというのでは、もちろんない。かの西田幾多郎教授が哲学に思いを馳せて散策した道が今日日、哲学の道と名づけられているのだという。
 なるほど京都には散策ポイントがあまたある。その中でもわざわざこう命名しているからには、さぞや明媚なる小径に違いないと思って、到着すると、なんたることか、
 「えーっ、立ち入り禁止じゃん」
 となっていた。
 ツレは、誰かが掘割に落ちたのかしらなどと、すごいことを呑気にいっているが、よくよく掲示を見れば、この北端から数百メートルほどを、桜や植生の養生のため使用禁止にするとある。それにしても残念。
 しかし歩けば、それはそれで川の流れに紅葉が映り、まさに思索の一捻りでも出てきそうな世界。食事処も点在するので、「善の研究」とまではいかないが、「膳の研究」ぐらいはなんとかなりそうと思ってもみる(お粗末)。
やがては立ち入り禁止地帯も過ぎ、ロード・オブ・フィロソフィの風雅にも磨きがかかる。
 途中の高校生の賑やかさは、女子高だったので許すことにしよう。 哲学の道を締めくくる熊野若宮神社の近くにさしかかると、光のベールをかけるように紅葉に日があたった。するとまるで燃え上がる葉の一枚一枚が輝きだすのだった。
 私たちはそこから南膳寺、じゃなくて南禅寺にさしかかる。もう夕刻である。途中、奥丹という店の前を通るとき、ツレは、
 「ゆどうふ、ゆどうふ、ふふふ・・・」
 という呪文を唱えていた。それは木曜日には効果がない(お店が休み)ことは本人も知っているはずだが、唱えずにはいられなかったのだろう。
そして南禅寺の三門を見上げる。この上から石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな・・・」などといったそうだが、下からも見上げても絶景である。
 そしてもう夕刻どころか、夜の雰囲気である。南禅寺の交差点あたりに出て、これからどう移動するかを考えた。
 ふと南側を見ると(私はだいたい方角は理解している)、なにやら地下鉄のマークと想像できるサインが灯っている。それに期待しつつ近づくと、ビンゴだった。
 地下鉄「蹴上」駅という、何んともすごいネーミングだけど、東京にも押上とかあるしな。で地下鉄に乗って、まずは三条京阪駅まで行くことにした。まさに行き当たりばったりな移動である。
 何のための移動かって、もちろんそれは本日のメーンエベントの会場へ行き着くための移動なのである。哲学の道の横を流れる掘割に紅葉が映る。
★色は最高潮。
★居眠りをしていた猫は、いやいやながら相席を認めた。
★熊野若宮神社近くの紅葉。哲学の道の最終ポイントで燃えていた。
南禅寺の三門。ちらりと昇っている人が見える。