昔々の誕生日の記憶

 今日の午後、東京都写真美術館に、「ジョセフ・クーデルカ プラハ 1968」を観にいった。
 これは1968年の8月21日、民主化へと歩み出そうとしたチェコスロバキアに、ソビエトを中心とするワルシャワ条約機構軍が軍事介入した数日間を、一人のカメラマンによって記録された写真で構成されている展示会だ。
 微かだが私が小学6年の夏休み、従兄弟の家に長い間泊まりにいっていた日々の中で、この事件の新聞記事を見た記憶がある。なぜならこの21日は私の誕生日でもあるからだ。
 さらに不確かな記憶だが、この「介入」という言葉の意味がわからずに難儀したように思う。街頭の戦車の写真を見た記憶もあるが、それはよりあやふやだといっていい。
 街に外国の戦車が入ってくる。その意味を人々は理解している。今回の写真展の写真で描かれているのは、そういった人の顔であり、動きだ。
 戦車を素手で押さえようとする人、人、人、高く旗を掲げる青年、石のブロックをおぼつかない足取りで戦車に投げつけようとする老人、戦車兵と話そうとする市民・・・・。
 チラシの「この写真を一度として見ることのなかった両親に捧げる」という言葉が最初はチンプに思えたが、実際には国内にいる両親が亡くなるまで、その身に危険が及ぶのを避けるため名前を明らかにできなかったというのだ。なんという皮肉。彼が名乗りを挙げたのは彼の父が亡くなった1984年である。
 しかし写真の数々を眺めながら、いっしょに行ったツレに当時の状況を説明しきれない自分がやや不甲斐ない。ハンガリー動乱やボスナニ暴動、戦後史の中の東ヨーロッパの情勢、みんな忘れてしまったか、そもそも頭に入ったことがないのか。そんなことも知らずに、消えていくことがないように、まずは『プラハの春 モスクワの冬』(藤村 信著・岩波書店)でも読もうと、書棚を眺める。おっと見つかった。内容は忘れているが、あるいはあまり読んでいないかだが、書かれているということはどうにか憶えていたようだ。
 当時のことを知るには、現在から解き明かすのではなく、ほぼリアルタイムの文章にあたる方が、より「艶やか」だと思う。東京都写真美術館近くの巨大なパネルの前で、43年ぶりに時間を確認する。ツレはまだ来ない。