『惑星ソラリス』の引き立て役

 ソダーバーグ版の『ソラリス』を観る。今度で2度目。たぶんこのタイトルでなかったら、観ることはもうなかった映画だろう。まあ、私がタルコフスキーの『惑星ソラリス』にどっぷりとはまっていて、レムの『ソラリス』を(できるだけ)じっくりと読んでいて、それで観ようというのだから、普通の映画鑑賞のようにはいかないよね。
 たしか、モスフィルムから映画のリメイク権を買ったって、どこかで読んだことがある。でも逆にソダーバーグ本人か、キャメロン親分が原作からのリメイクだといっているのを、やはりどこかで聞いたことがある。だけどこれはどう観たって映画のリメイク以外の何モノでもない。
 で、悲しいかな、SF映画ファンではなく、ソラリスファンからすると、2度も観ておきながらも、これがまったくの期待ハズレ(あーあ、いってしまった)。ということで、これは『惑星ソラリス』のすばらしさを再認識させる映画なのでもあった。
 でもステーションのしつらえはかっこいいし、CGの完成度も高かったんじゃないかな。だから『ソラリス』というタイトルじゃなかったら、もっと楽しめたはず。
 そうそう、作る側にとってもその縛りが強すぎたんだよね。「客」に殺される乗組員の話や子供の「客」の展開も中途半端で、それは『ソラリス』であるがゆえなのかもしれない。どっちにしろレムには怒られるんだから、もっともっとエンタメに振ってしまったほうが、お互いによかったんじゃなかろうか。
 でもジョージ・クルーニーのお尻、あれだけはもう見たくないなぁ。