映画

『奇跡』は『ストーカー』だよね、というトンデモ説

先日、是枝監督の映画『奇跡』を観た。その淡々とした描写、けっこう好きのだが観終わってしばらくしてから、この作品って、もしかすると、『ストーカー』なのではないか、などとトンデモナイことを思ってみたりした。もちろんタルコフスキーの方だけど。 『…

ストーカーもなんと先取り

なんと半月も書いていなかったのか、とほほほ、と反省。 で、前回の「私は二十歳」なんだけど、こっちが勝手に驚いたのは、テオ・アンゲロプロスの先取りだけではなかったのです。 あの驚愕の冒頭シーンに続くのが、一見なんの工夫もなくのちに主人公だとわ…

アンゲロプロスを先取り

さて、前回書いたマルレン・フツィエフ監督の「私は20歳(はたち)」(Застава Ильича)だけれど、まずはそのオープニングに驚かされる。 朝の誰もいない街の大通りを革命当時の三人の兵士がカメラの方に向かって、足並みを揃えて近づいてくる。タイトルロー…

若き日のタルコフスキー

最近また、というか相変わらずというか、いいかげんもう飽きたよ、というか、タルコフスキーのことをいろいろと調べている。 で、今回は大学卒業制作作品である「ローラーとバイオリン」を再見。あやふやな記憶が一時だけしゃきりとしたけれど、またゆっくり…

父のいない家

おっと、またまたどんどんと脇道へと進路を取ってしまいましたが、それをチト戻す。 今まで書いてきたように「惑星ソラリス」までの作品は、自らの体験を転化したように失われた父性を求めていましたが、「鏡」をターニングポイントに父性を放つようになった…

記憶違いによる「顔出し」

ちなみに「鏡」におけるタルココフスキーの恥ずかしさの一つといえるのが、といっても私が勝手に思っているだけなのですが、ラスト近くに病人として登場する彼です。 そこでは役割が明確でない婦人と彼女の使用人らしき年配の女性、そして医師に囲まれる形で…

分岐点としての「鏡」

ということで、明日というか今日なのですが。 スミマセン、ちょっとサボりました。 願望の成就とか願いの実現などと昨日書きましたが、こういったテーマはタルコフスキーに限らず、多くの映画の基本的なテーマではあります。 ただ彼の場合はそれを映像の中で…

父親との和解後のテーマ

そしてタルコフスキーは、願望や夢を具現化するというレムの設定をハリーの生成だけに留めず、母親やそして父親と家をも生成させました。 しかもアンナというおばさんと実在のアンナという名の義母の写真を紛れ込ませることで、クリスの家系を自分のそれとダ…

夢に夢を見る男

さてそれではSF乱学講座で到達できなかった「惑星ソラリス」についての総論的なモノを、思いつくままにつらつらと書いていきます。 まず一つはどうしてタルコフスキーはレムの「ソラリス」を映画化したかったのか、といった点ですが、その要因の一つと考え…

図書室の後で

はい、SF乱学講座ですが、『惑星ソラリス』についていろいろと述べてまいりました。まさにいろいろと反省すべき点、多々ではあります。 特に時間の配分に配慮が足りず、その結果として映画の後半部分に触れられず、総論的な話もできませんでした。ごめんな…

タルコフスキーの82回目の誕生日

4月4日はアンドレイ・タルコフスキーの82回目の誕生日です。 82歳の誕生日といえないのが、とても残念する。もし1986年に亡くなっていなければ、私たちは彼からどんな作品リストを受け取っていたでしょうか。 私は1977年に「惑星ソラリス」を…

ソ・ソ・ソクラテスか、プーシキンか。

今度の日曜のSF乱学講座で「惑星ソラリス」についての話をさせていただくことになっているので、いろいろと日本語の文献を読み直したり、映像を観直したりしているのだが、今更ながらに新発見があって驚いている。 例えば「惑星ソラリス」の図書室に最初に…

深夜のニュースから

4月1日の12時29分、ロシアのモスフィルムは異例の記者会見を行った。 それによると、モスフィルムの保管庫でソビエト時代の有名な映画監督であるアンドレイ・タルコフスキーの未公開フィルムが発見されたという。 中でも画期的だったのは、タルコフス…

万博との44年ぶりの再会 その九

(続き) 一昨日に建物そのものを展示物にしてしまったスイス館やブリティシュ・コロンビア州館のことを書いたけれど、大切なことを忘れていた。その最たる例なのが、ご存知、太陽の塔を含むテーマ館なのである。もちろんその中には進化を表した生命の樹、地…

万博との44年ぶりの再会 その八 

一方の国内館はまず映像ありきで、工夫のしどころはそれをどう見せるかだったのだろう。 すでに書いたように、くだんの東芝IHI館は巨大なターンテーブルに乗り、九面のスクリーンに映すという仕掛けそのものがまさに「客寄せパンダ」的な工夫そのものであ…

万博との44年ぶりの再会 その七

(続き) つまり大阪万博の一つの特徴といえるのが、国内企業館の多くが映像を主体とする展示方式を取ったのに対して、外国館の多くはそれから脱却しようとしていたということだ。 月の石やアポロ宇宙船のあるアメリカやソユーズなども持ってこられたソビエ…

万博との44年ぶりの再会 その六

(続き)ところで、件のモントリオール博で目立っていたのは、映像展示が多かったことだ。日本での万博開催が決まったが、はたしてどんなことをやったらいいのかと、まったくの暗中模索だった参加者たち、とくに国内の企業館のスタッフはこぞってこのモント…

万博との44年ぶりの再会 その五

(続き) 例えば、そこにいてその東芝IHI館の映像を観た私は、きっとロバート・キャパの写真を見たはずなのだが記憶はまったく残ってはいない。そしてその写真の意味を知るのは、ずっと後のことで、そしてまた現在はそのキャパがキャパとなりえた写真の、…

万博との44年ぶりの再会 その四

(一昨日の続き) そしてまた東芝IHI館の映像について。そのタイトルは「希望−光と人間たち−」で、今の観点からすると、環境ビデオ、もしくはイメージビデオといった類に感じられる。そういってしまうと身もふたもないが、1970年当時は映像としてかな…

万博との44年ぶりの再会 その三

(昨日の続き) というのも、今回の東大では、その9面の中の3面だけを小さなスクリーン(といったも学内では最大級なのだろう)で鑑賞しなくてはならないからだ。 はっきりいって44年前、あの摩訶不思議なパビリオンに誘われ、大きなターンテーブルに乗…

万博との44年ぶりの再会 その二

(昨日の続き)と、前の席に座ったご婦人二人、そのおひと方はどうやらあの「あまちゃん」に出演したベテラン女優さんではないか。ふむ、間違いない。と、いろいろありつつイベントは始まる。 滑舌のいい口上のあと、まずニュース映像で大阪万博のようすが紹…

万博との44年ぶりの再会 その一

二日に東大の本郷で大阪万博の展示映像のイベントがあったので、のこのこと出掛けてきました。記録映画アーカイブ・プロジェクトの第12回のワークショップで、題して「戦後史の切断面その? 万博とアヴァンギャルド」。 今までこのような催しが行われていた…

たき火

寒いので、家を燃やしてみました。 それも二軒目ですが、なにか。 とある映画撮影後の記念写真。左上ではまだ盛んに炎があがっている。

他人のソラ似

27日に載せた「2001年宇宙の旅」のフロイト博士の写真、どこかで見たような、と思ったら、なんとなく「サクリファイス」のアレクサンデルに似ているような。もちろん別の俳優で、前者はウィリアム・シルベスター(1922−1995)、後者はエルラン…

マルチェロは戦場に行った。

ひまわりといえば、ある年代以降の人は映画「ひまわり」を思い浮かべますよね。ただ恥ずかしながら、ワタクシ、あのソフィア・ローレンのアクの強さに躊躇して、未だに観ていないのです。でもいろんなところで言及されるのが、一面のひまわり畑の光景。ちょ…

ゼログラビティ・トイレット

トイレの話で思い出してしまったが、ウチのトイレにはなぜか英文で書かれた「ゼロ・グラビティ・トイレット」の使用方法の注意書きがある。 実をいうとこれはずいぶんと昔、知人からもらったもの。かの「2001年 宇宙の旅」で、フロイト博士が月に向かう…

今ここにある、グラビティ。

そしてまた「ゼログラビティ」。 映画を観終わると、またトイレに行きたくなった。 あれれ、これも無重力鑑賞のなせる技なのか、と所定の位置に立つと、隣に鑑賞してきたばかりらしい若者が二人立つ。 「やっぱ、原題のグラビティの方がいいいよな」 「そう…

かくして、の現在。

子どもの頃にテレビで50、60年代に制作された洋画を観ていたことを書いてきたけれど、それ自体が60年代のことなので、今では懐かしのシネマだけれど、実際には10年前ほどの「新しい映画」だったことになる。 両親はそんな映画を観ながら、「あの俳優…

不思議な偶然

「日本の古本屋」で注文したフランソワーズ・アルヌールの自伝『映画が神話だった時代』が到着。あのユニークな編集で有名な通販雑誌を発行しいするカタログハウスが版元だ。 表紙の写真もなかなかいいのだが、裏表紙はなんと何日か前に紹介した「牝牛と兵隊…

いったいいつの話。

てなことで「ゼロ・グラビティ」。 サンドラがISSに入っても、パチパチやっている火種にまったくスルーって、おいおい宇宙ステーションで一番怖いのは火事でしょ。ミールもそれで苦労したようだし、若田さんもしっかり訓練していたよ。で、ISSは火災で…