ジャッキー・マクリーンを聴きながら

 遅ればせながら、佐々木譲さんの『密売人』を昨夜、というか今朝読了。
 大いに楽しんだ。なにせ明日まで結末を待てずに、午前3時まで一気に読んでしまったのだから。
 道警シリーズの中では『笑う警官』に匹敵するのではないか(個人的感想です)。
 まず最初にぽんぽんぽんと、本筋とは無関係のような光景を立ち上がらせる。それはまるで質のいい映画のように、観るもの、いや読むものの期待を高める。そしていったん物語が始まってしまえば、登場人物はどこで息を吸っているんだろうと思わせるような、ジェットコースター・ムービー、じゃなかったストーリーが続いていく。
 このシリーズも第5弾で、登場人物とも札幌で出会ったら「あっ、どうも」なんて声を掛けてしまいそうなほど親しくなってしまった。
 読者はキャラクターが相変わらずなのと、少しは変わっていることを想像する。彼らはその想像通りに立ち振る舞う。だからこういった作品を書き続けることは、ある意味、危険でもある。既存の読者の安易な賞賛とおもねり、そして作者のマンネリが生じかねないからだ。
 キャラクターと設定が決まっていて、それに物語をはめ込めば、一丁上がりという安易な小説だと思う人がいるかもしれないが、道警シリーズはその鋳型は当てはまらない。もしそうであるならば、キャラクターは鋳型の中で陳腐化され、設定も枠の中でせせこましくなっていくはず。でも『密売人』の佐伯以下のキャラクターは、その朴訥さを含めて磨きが掛かり、設定も本筋と別筋の微妙な按配と、後半の物語の見事かつ意外な折り返しが味わい深いのだ。
 もちろん作者はこれほどまでシリーズが続くとは、考えていなかったのだろう。それはきっと登場人物が彼の思惑以上の「チャーミング」さを発揮したからだ。その鋳型からちょっとだけ飛び跳ねようとする快活さがある限り、この道警シリーズは続いてしまうのかもしれない。
 実をいうと、佐々木さんには幕末や明治初期の壮大な物語世界を書いて欲しいのだけれど。