深いところに沈んでいく映画

 数日前にテレビ放映で2003年制作のロシア映画父、帰る』を観る。
 なんとも不思議な魅力を湛えた映画だった。
 以下、ネタバレてます。
 アンドレイとイワンの兄弟二人と母、そして祖母の四人で暮らしていた一家に父親が12年ぶりに帰ってくる。兄弟は父親が眠っているところを見る。その構図がキリストの死を題材にした絵画にとてもよく似ている。と思ったらホームページにもそんなことが書いてあった。そうこの構図は『ミツバチのささやき』にもありましたね。監督自身も宗教との関連について述べている。雨のシーンが浄化のモチーフになっているようだ。はい、それはあの監督と同じです。
 兄弟に父親の記憶はほとんどない。彼らは昔の写真を探し出して彼が父親であることを確認する。そんな奥まったところにしか写真がないことが、その父のありようを示している。
 そして12年ぶりに夫を迎え入れる妻が寝室でドアから差し込む光に向かっている。これもまたエドワード・ホッパーの絵にあったような構図だ。
 なごやかさがまったくない家族の時間のあとで、父親は息子たちとクルマで旅に出ることを告げる。兄は一応それを楽しもうと思っているが、弟は父親に従わない。このあたりも『ミツバチの差ささやき』の姉妹に類似が認められる。兄弟はただ釣りを楽しみたいと思う。兄弟の釣り人といえばキリストの使徒だよね。
 一晩だけ湖畔で釣りを楽しんだ後、親子は無人島にボートで乗り込む。そこで父親は二人に気づかれないうちにある小屋の地下から小箱を掘り出し、ボートに仕舞い込む。
 旅の途中で兄はまず父親の指図に従わず時間を浪費する。ラスト近くで今度は弟が約束の時間を守らない。それは兄が父に従順になったことへの反抗か。
 父親の最期の言葉は弟イワンの愛称であるワーニャだった。この一言がこの映画を解く一つの鍵だろう。そして父の事故死。兄弟は彼の死体を運ぶのに苦労するが、その方法はクルマがスタックしたときに父親が取ったやり方だった。ひとつの悲劇的な伝承作業。そして二人はボートで対岸まで運ぶ。これも父親が直したエンジンによって可能だったこと。
 しかし二人が自動車を用意している間に、ボートのもやいがほどけ、さらには岩で傷つけた船底から水が入ってくる。ボートにはまだ父親の死体が載っている。沈みかけたボートに向かってイワンは初めて自分からパパと呼びかける。この一言がもう一つの鍵になるだろう。しかし父親とボートは謎の小箱といっしょに海へと沈んでいく。
 ここが冒頭の海底のシーンと繋がる。そこでは沈んだ小舟が映し出されているのだ。そして本来の冒頭である子供たちの海への飛び込みの場面になる。
 しかしなんとも不吉だ。この映画の兄役だった俳優は、この映画の制作直後にこのロケ地で水難死をしているのだから。
 さて父親はどうして12年も不在だったのだろう。
 何のために息子たちを旅に誘ったのだろう。
 掘り出した小箱には何が入っていたのだろう。
 この映画の原題は「帰還」だという。最後に旅の途中で撮った写真が映し出され、その終わりに父親と息子たちが写っているはずの写真になるが、そこには父親の姿が消えていた。