天体望遠鏡への遠望 その1

 あきらサンがコメントを付けてくれたので、調子に乗って少しばかり天体望遠鏡の話を書いてみることにしよう。
 私が初めて自分の天体望遠鏡を手にしたのは、たぶん小学生の5年か6年の頃。しかしそれは学研の雑誌だった「科学」の付録で、レンズの付いたプラスチックの部品を、ただ墨を塗った画用紙を丸めた鏡筒に繋げたというもの。もちろん脚は付いていない。それをアパートの窓の手擦りにあてがって月の方向に向けてはみるが、なかなかその視野には入ってくれない。当然ピント合わせもままならないというシロモノだった。
 でもこのようにかなり鮮明に覚えているのだから、それでも楽しかったには違いない。まだ人類は月に到達していなかった、そんな時代だ。
 そのあと中学生の時代だろう、自分ではなく、友人が持っていた望遠鏡を覗いたことがある。それはレンズの直径が7センチ程度の屈折望遠鏡で台座は経緯儀式、つまりはタテヨコ方向にしか向かないタイプだったので脚はあるのだが、星を追いかけるのはかなり苦労する。それでも月はどうにか見ることができたので、それだけでも飛び上がるほどうれしかった。
 そして当時か、少し後でか、別の友人が高性能の天体望遠鏡を買ったのだけれど、どうもよく見えないと相談に来たことがある。聞けば彼はただ単に望遠鏡をその辺に見える星に向けているだけ。どんなに高性能な望遠鏡だって恒星はただの点にしか見えない。彼には月の見方や惑星の場所を教えたはずだけど、ちょっと心もとなかった。いやそれは私の方のことだけど。
 年に何回も月に人類が出掛けていた時代で、あと10年もすれば農協だった月旅行パックを作ってしまいそうな雰囲気があった。私は高価な望遠鏡よりも、紙さえあればできるということで、液体燃料ロケットの設計もどきの日々を過ごしていた。
(この話は続きます)