ご挨拶……テキスト編

 SF評論賞贈賞式で一番の難関は、受賞者がひとことご挨拶することになっているということ。しかし、どうやらその場でメモなどを読むのは難しいようです。でも、トンでもなくあがってしまったときのために、一応用意したのが下記の文章です。
 実際に広げることはほとんどできず、覚えている内容をほつりほつりと話しました。ここではそのメモのほうを載せておきます。なおこの賞をいただいたことについては、すでにご報告済みで、昨日その贈賞式が行われたというわけです。なにかまた別のものを、というわけではありません。

ご挨拶

 忍澤(おしざわ)と申します。『のぼうの城』の忍城(おしじょう)で、やや有名となった忍(おし)、忍藩の忍で忍澤と読みます。
 今回、このような賞をいただけることにまったく恐縮しております。またここのお集まりの方々の顔を拝見する光栄を得るなど、私にとっては、まさにSF的世界といってもいいでしょう。逆に時代劇のセリフでいえば、ご尊顔を拝し恐悦至極にございます、といったところでしょうか。
 また、はたして才覚どこか人格までふさわしいかどうか危うげな者に賞を贈ってしまう選考委員の方々の冒険心は、はたしていかばかりかと驚いてもいます。これからはその冒険心の期待にそうように精進してまいりたいと思います。
 もともと、ソラリスとの出会いは映画『惑星ソラリス』のほうが最初でして、1977年の岩波ホールか、それとも1978年のスバル座なのか、記憶があいまいなのですが、ともかくも日本での初上映かそれに近い機会に鑑賞したことになります。
 私はこの映画にかなりぶっ飛びまして、当時のSF映画といえば、キンピカピカのかっこいい宇宙船や自分でも着てみたい宇宙服のヒーローが活躍するもの、といったイメージがかなりありました。
 『2001年宇宙の旅』にしてもそういったことを引きずっていたかと思います。ちなみに私は『2001年…』の公開時に小学生だったので、関心を大いに持ちつつも見に行けず、実際にテアトル東京で観たのが1978年だった思います。
 というわけで、私はいわば私のSF映画のビッグ2をほぼ同じ時期に観ていることになります。これが幸いだったかどうかは分かりませんが。
 さて『惑星ソラリス』を観たあと、かなり長い間あれはいったい何だったのかとモンモンとする時期を過ごすことになります。とても魅力的ではありましたが、でも分からないことが多すぎる。特に最初の地上のシーンやクライマックスなどなどで、疑問符が私の頭の上に大きく膨らんでくるのでした。
 その疑問符の答えを得るべく、その原作を読むことになります。当時の原作といえば早川の『ソラリスの陽のもとに』でしたが、残念ながら私の読解力ではその疑問符は小さくなるどころか、さらにそれが大きくなってしまいました。
 そんな中途半端な状態で時は流れましたが、2004年に沼野充義さんのポーランド語からの翻訳である『ソラリス』が出版されたのです。
 それを機会にまた原作本を読むことで疑問符と対峙することにしたのです。そして出版記念として沼野さんと巽孝之さんによるトークセッションが開催されました。幸いなことに二次会には一般の人も参加していいとのことで、あつかましくもご両人の前に座らせていただきました。
 そして私があまりにも「ソラリスソラリス」と連呼するので、ちょっとネクタイを緩められた巽先生から、
「そんなにソラリスのことを知りたいんだったら白鯨を読みなさいな、白鯨を……」というお言葉をいただきました。
 それで私の頭の中でかすかに弾けるものがあったと思います。
 『惑星ソラリス』は単に画面を凝視するだけではなく、そこに作家が仕舞いこんでいる複合的な意味を読み解く必要があるのではないかと、その一つの試みとなったのが、ずいぶんと時間は掛かりましたが、第6回の評論賞で候補作として残していただいた文章でした。
 はなはだ総花的で、ただ『惑星ソラリス』の発掘現場から掘り出した遺物を無骨に並べただけのものと今では思っています。
 なので、その再検討とさらにその後分かった事柄を追加して第7回に応募しようと考えたのですが、その前にタルコフスキーはレムの原作とどう接していたのかに関心が傾き、その検証作業、ロシア語からの翻訳とポーランド語からの翻訳の対比作業が結果的には今回の応募作の主題となりました。
 実際にはそのレムの原作とタルコフスキーの作品をくわしく対比して、さらに映画の深遠に迫りたいと考えています。
 本日はほんとうに身に余る賞をありがとうございました。そして私の中のソラリスのビッグバンを誘発されていただいた沼野先生と巽先生に感謝いたしたいと思います。

以上、第7回日本SF評論賞選考委員特別賞を「『惑星ソラリス』理解のために――『ソラリス』はどう伝わったのか」でいただいたことへのご挨拶の元原稿です。