検閲官のプレゼント

 SFマガジン6月号に掲載された拙作「『惑星ソラリス』理解のために[一]――レムの失われた神学」に触れて、作家の牧眞司さんが自身のツイッターで、『ソラリス』を再読したくなった、とつぶやいていらっしゃいました。たいへんありがたいことです。
 すでにここでも一度書いたことですが、あの文章は『ソラリス』のロシア語版からの重訳である『ソラリスの陽のもとに』と、ポーランド語からの翻訳である『ソラリス』を比較することで、検閲官の仕事の主旨がどのあたりにあったのかとか、タルコフスキーに伝わった『ソラリス』が、レムの描いた『ソラリス』とどう違うのかを、まず考えていきました。
 その上で、この検閲官のいわば脚本家としての才に注目します。ロシアの民に相応しき『ソラリス』がそこにあり、もちろんタルコフスキーもその民の一人に過ぎません。
 その検閲官の才が才たるところとは、レムのほんとうの主旨をものの見事に摘出していることです。研究者の汚らしい部分とかエロティックな描写の削除は、いわば余芸に過ぎません。
 彼は「怪物たち」と「思想家たち」の章を大幅に削り、ソラリスが何たるかを不明瞭にします。特に「思想家たち」の削除部分は致命的でした。そこはのちクリスとスナウトが交わすことになる神学論議に関連しているからです。
 また「夢」の章でも、その核となる夢の描写がほとんど削られているのですが、そここそソラリスによるクリスへの接触であったはずです。
 ハヤカワ文庫SFでは、神学論議のみが改訂によって付け加えられていますが、その前提というべき、「思想家たち」の思想、特にクリスたちによって最後に否定された仮説、そして「夢」の夢の内容が削除されたままなので、論議そのものが、いわば放り出されたカタチとなっているのです。
 ということで、レム好き、「ソラリス」好きの方は、ぜひ沼野さんが訳出された『ソラリス』を、ハヤカワ版を横において読んでみてください。
 その楽しさは、もしかすると60年前のあの検閲官の、現代へのプレゼントということになるのかもしれません。