ヒデオテープとブリューゲル

 25日発行のSFマガジン7月号には、先月号に引き続いて、拙作の「『惑星ソラリス』理解のために[二]――タルコフスキーの聖家族〈前篇〉」が掲載されます。
 前回はレムが『ソラリス』に込めた主旨について、ロシア版での検閲を巡りつつ書いていきましたが、今回はタルコフスキーが、この『ソラリス』の物語に何を封じ込めたかについて、私自身の見方を展開してみました。
 ご存知のように、タルコフスキーは直接的な表現をほとんどしません。例えが悪いかもしれませんが、美しいモノを映し出しても、その美しさを表現するためでなく、愛に関する会話も、愛の素晴らしさとか愛の不思議さのためではありません。
 タルコフスキーに映し出される物や事や人は、その意味ではなく、別のそれらと連関しあうことによって、まったく別の意味が浮き上がるのです。
 まずは物と事、そして人をいくつか内包していることがらを含めて提示しました。そしてそれらが物語の進行に従って、どう結びついていくのかを考えていきます。
 特に大切なのは、クリスがハリーに見せる地球から持参したビデオテープです。はたしてこの中にはどんな意味が隠されているのでしょうか。そして図書室のシーンに後ろに掲げられたブリューゲルの絵画、それはどうクリスやハリーに関与してくるのでしょうか。
 そのあたりに付いてご興味のある方は、ぜひ拙作をお読みください。