残り時間と好みとの関係

 先週、映画「アーティスト」を観る。ツレがどこかの映画紹介欄で、「観たい」と決めたらしい。近所の新宿ピカデリーでは、もう一日二回の上映しかしていないので、そろそろ公開も終わりかと慌てて出掛けてみた。
 はい、夫婦割引、ふたりで2500円である。
 サイレント映画と聞いていたが、音楽が全編に流れていて、ほんの少しだけキモの部分には効果音も出るので、まったく音なしの「サイレント」映画ではない。
 そもそも昔のサイレントにしても、楽団がいたはずだし、日本でも弁士が絶妙に説明していたので、まったく無音というわけではなかったのかな。
 で、その内容といえば、まさにサイレントの時代からトーキーの時代に移る際の、男優のありきたりともいえる悲哀が題材になっているわけなのだが、この歳になると、いままで、「へっ」と思っていたこういったテーマが、実は琴線にびしびしと触れてしまったりもする。
 少なくとも、荒唐無稽なアクション大作やアメリカ独りよがり的に人情世界サスペンス力作などよりも、「あー、映画を観てよかった」という気持ちにさせるのだ。これはまあ観る側の残り時間にもよるのだろうけれどね。
 そしてサイレント映画独特のオーバーアクション気味の演技は健在、で、でもこの映画で一番感心させられたのは主人公の飼っていた犬の演技。あの犬のオーバーアクションの演技って、どうやって演技指導したのかな、それだけで一本の映画ができてしまいそうだ。