お風呂屋の大海

 水中モーターの話の続き。
 とにかくそれは画期的なオモチャではあった。しかし、その画期性もまた時代の子ではあり、それを成り立たせるための要件が存在する。
 ここで慌てて付け加えれば、この画期性とは、私が1960年代後半を過ごした、葛飾柴又の周辺に於いて、ということなのである。当時、私の世界はほぼそこに限られていて、要件たるもその世界のこと。別世界については範疇にない。ただ冒険とばかりに踏み入れたとしても、それは水元公園か江戸川の対岸にある里見公園が、いわば外縁なのだが、そのあたりはあまりにローカルであり、また別の話に突入しそうなので、ここに置く。
 さて、そんな狭い世界の画期性ではあるが、ここには銭湯というものがイキイキとしてあった。子どもたちはそこをお風呂屋さんと呼ぶ。都市プロレタリアートの子どもたちの一番の遊び場は、近くの空き地とこのお風呂屋さんだったのだ。
 そして空き地がそうであるように、プチブルの子らもまたこの風呂屋に集う。そこが身体を洗う場所というよりも、遊び場なるがゆえに。
 しかもそこは男子だけの(例外はあるにせよ)世界である。そしてそのためのオモチャを必要とする。
 地には、ボール紙にスピードギアをくくり付けた簡易リモコン(電池ボックス)によって操縦するフレームだけの自動車、空には、お手製か駄菓子屋で求めた紙ヒコーキ、しかしこのお風呂屋の大海に相応しいものを、彼らはまた持ってはいなかった。ここに純然たる資本主義の需要が存在していたのだった。って、それほどのことはないか。
 続きます。