その歴史もまた夜つくられる。

 昨日の続き。
 そういえば、グレン・ミラー好きの異端派、というか一人なのだけど、その彼は歌謡曲好きであることも秘することはなかった。あの時代の中学生はみんながみんな深夜放送を聴いていて、そのほとんどが洋楽漬けの日々を送っていたはずなのだけど、彼はいつも「いいじゃないの、幸せならば♪」と鼻歌っているのである。その歌に深遠なる意味が付与されるのは、それから何十年もあとのこと。それにクラスのイベントで彼が歌ったのは、「長崎は今日も雨だった」。それが意外にも美声だったので、もしかするとその才覚を発揮できるのは、ロックやポップスではなく、歌謡曲であると認識していたのかもしれない。
 おっと、また「グレン・ミラー物語」から逸れてしまった。なんとなくチャンネルを合わせて、彼がトロンボーンを質入れするシーンぐらいを確認しようかな、と思っていたのだが、そのままだったのは、色彩の美しさにまずは驚いたのである。1953年の制作というのが信じられない。リマスタリングでもしたのだろうか。
 そして、サッチモこと、ルイ・アームストロングの登場。彼は彼自身の十数年前を演じたことになる。彼は「五つの銅貨」にも本人役で登場しているが、そのシーンがとてもいい。稼ぎのために働いたあとの自分のためのジャズ。ジャズは真夜中にその厚みを増す。
 この映画はまさにグレン・ミラーの楽曲のショーケースの役割をはたしている。「ペンシルベニア65000」、「イン・ザ・ムード」、「タキシード・ジャンクション」、そして「ムーンライト・セレナーデ」などなど、この映画化がなかったら、彼の曲がこのように残っていっただろうか。その点でいうなれば、つまり極めて映画的なその死(諸説あるけど)がそれを成立させ、成功させているのなら、なんとも皮肉なのである。