保護という名の圧殺

 昨日、渡良瀬遊水地のヨシ焼きのことを書いたけれど、当然のことにそんなイベントは足尾鉱毒事件を連想させる。
 私は三十年以上前に、大学の課外授業でその地を訪れたことがある。田中正造を研究している教授が中心となって、貸切バスで出掛けたのだが、単位に関係ないのに、そこそこの学生が集まった。
 そのバスは遊水地の中まで入って、旧谷中村の跡地、何本かの柱がただ立っているだけの場所を見て回る。そのあまりの小ささとその周辺のあまりの広大さに驚いた。
 渡良瀬遊水地は、足尾鉱毒事件の被害を「減らす」ための事業とされているが、御存じのように実際には反対運動の拠点だった谷中村を名実ともにつぶすためのもの。たしかに下流鉱毒は流れ出なくなったが、流出した「毒」自体はそのままこの広大な土地の下に残り続けている。
 さらに連想は続く。またまた東京電力第一原発である。周辺は汚染水タンクで埋め尽くされ、汚染物質の実質的な廃棄場所の候補地となっていく。直接的被害者が、さらにその事件を封印するための二重の被害者となる。
 たぶんまだ渡良瀬遊水地の中にわずかに残っているだろう谷中村の遺構は、そのまま原発周辺の風景の未来の姿を表現しているのではないだろうか。