東京、その希望と幻想

 さて、昨日は最後のあたりで、東京という言葉に属性について少し書いてみたけれど、ほとんど意味不明だったに違いない。
 なので、今日はそのへんを補足する。
 1975年の東京展というのは、日本美術展覧会、つまり日展へのアンチテーゼだった、としておくとわかりやすいかも。それがほんとうにテーゼであったかどうかは、まあド素人の私の器ではなんともいえないが、それを組織した人たちにとっては、たぶんそうだったに違いない。でもここで注目しておきたかったのはその首尾ではなく、日展、つまり日本という言葉に対抗する言葉が東京だったということなのだ。
 考えてみれば、いまや暴走老人と化した青年石原はこの年の都知事選に立候補したが、元学者である革新統一候補の美濃部さんに敗北している。革新というのはなんとも不確かな言葉だが、革新=東京、保守=日本というイメージは確かにあの当時存在していたような気がする。それがゆえに、アイチテーゼなるものは東京の名を冠したのではないだろうか。その希望のようなものが幻想に過ぎなかったことがわかるのは、少し先である。
 なかなかたどり着かない2013年のフランシス・ベーコン展の前に、1975年の英国の肖像画展を少し観ておく必要がある。(続く)