絵から生じる冷たさ

 近代美術館に来たのは、たぶんクレー展以来だろう。その前はいったいいつか、うーむ、思い出せない。昔々、なんと父親とポール・デルヴォー展に行ったことがあるが、そんなに前ではない気がする。しかし、ベーコンにクレーにデルヴォーというラインナップはなんとも微妙である。
 もちろんきょうの日までベーコンについては、西洋美術館でたった一枚のベーコンの絵を観て、それでおしまいというわけではなかった。古本屋で購入したので、はっきりとした時期はわからないけれど、「追悼・フランシス・ベーコン」と題された1992年6月号の「美術手帖」がいつのまにか手元にある。といっても買った書店は覚えている。それは駿河台の坂道を靖国通りまで下っていく途中で、明治大学の沿って右に分かれている道を行くと出会う古書店だった。美術関係の書籍がきちんと揃っているいいお店の均一台で見つけた本のはず。
 これを広げた時のインパクトもまたなかなかのものだった。と、表現力のなさをそのままにしておく。
そういえば、映画「リング」(日本版)の冒頭で事件に巻き込まれる若者たちの写真を見た瞬間に、あれはベーコンだな、とも思ったものだ。それはさて、この「美術手帖」とどちらが先であったか、どうか。
 ともあれ、さて会場に入ってみる。いやもう入っていたのだね。
 空気がひんやりとしている。美術館では絵画のために独自の温度設定をしているはずだが、それにしても寒く感じる。これはきっと並べられている絵からも伝播されているのだろう。皮膚に、そしてさらに内側に。(続く)